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アユルものがたり『那須のくにのおはなし』出版記念対談

対 談「那須の国」を語る(Vol.1)

那須町
シヤシオと茶臼岳

シロヤシオと茶臼岳

 那須町は、関東平野から東北地方へと続く那須野が原の北端に位置している。黒川に沿った平準地は有史以来、古代から京の都と陸奥国を結ぶ交通の要衝地として、時代の変遷を反映する歴史的・文化的の流通路として利用されてきた。
 那須連山を背景とした那須山麓は、全国的に知られた観光とレジャー地であり、天平年間に記録が残る「那須の湯」を代表とする温泉郷である。近年は、「那須平成の森」が誕生し、ビジターセンターやフィールドセンターなどの施設の整備とともに那須の自然への関心が注目されている。
 南東部に位置する芦野・伊王野地区は、古代から近世への歴史的遺産に恵まれ、里山の景観とともに、義経伝説や数多くの民話が残るロマンあふれた地域である。
 那須町は、古代東山道から現在の東北自動車道に至る「道」の変遷によって形成したもので、東から西への道の動きは、日本の歴史と那須町の発展に大きく影響を与えている。

タイトルアイコン−「アユルものがたりー那須のくにのおはなし」発刊記念対談 −

那須町・高久勝町長×那須烏山市・烏山和紙会館館長 福田弘平氏

 2012年2月8日に「アユルものがたりー那須のくにのおはなし」が発刊された。作・絵の山中桃子氏が父である作家の故・立松和平氏の意思を継いで、約2年の歳月をかけて「那須の国」の古代文化を背景に書き上げた絵本である。「父が書くはずだった作品です。父が私に残してくれた仕事だと思っています」と、山中氏は胸のうちを語る。絵本の企画者である那須烏山市の烏山和紙会館館長・福田弘平氏が、本書の別冊に寄稿してくださった那須町の高久勝町長を訪ね、共に古代「那須の国」に想いを馳せて「那須の国の今」を語りあった。

■渡来人が残した「那須の国」の文化
高久勝町長

高久勝町長

福田弘平氏

福田弘平氏

福田 古代那須国は、那珂川町に遺跡がある那須官衙(古代の役所)を中心に開かれていきました。那須の山を越えるとその先は、蝦夷でしたから、那須国は蝦夷征伐の拠点として、発展していったようです。

高久 那須町の芦野家は那須家から養子をもらったという話のようですね。(芦野氏は、戦国大名那須氏の一族で、那須資忠の四男資方が芦野三郎を称して芦野氏の祖となった。代々那須氏に重臣として仕え、那須七騎の一つに数えられた)。以前、福田先生にお会いしたときに言われるまで、よもや栃木県の北端の那須町と、南の方に位置する那須烏山市が一緒の国だったとは存じ上げていませんでした。それから少しずつ調べるにあたって、やはり一つだったということがわかりましてね。

福田 一つの文化がここで生まれたような気がしますね。この地方がかつては、栃木県内で一番栄えたところだと思います。

高久 那須烏山市が、(旧烏山町と南那須町が合併したときに)市の名前に『那須』を入れたときに、那須町民から「なんであそこが那須なんだ」という話も出たのですが、それは歴史を知らない人たちなのですね。歴史を知っていれば、昔は、那須という国の中心はむしろ、いまの那須町よりも南の方の地域だったわけです。

福田 旧小川町の那須官衙ですね。栃木県内には中央の出先機関である官衙は国分寺と那須の二つしかありませんでした。

高久 今回、山中桃子先生が描かれた『アユルものがたり』は渡来人の話ですね。

福田 渡来人がすばらしい文化を古代那須国のいろんなところに残していってくれたという話しです。

高久 那須町の芦野には「唐木田(からきた)」という場所があります。そこは渡来人がいたところだろうと伝えられています。そして、その地区には渡来人と縁があると言われている室越(もろこし)という姓が残っています。ですから、『アユルものがたり』を、何か一体感というものを感じながら見させていただきました。

福田 渡来人が残した文化がどこかに残っているわけですね。那須烏山市と那珂川町の境には「白久(しらく)」という地名がありますし、那珂川町には久那瀬(くなせ)という地名があります。これらの地名も朝鮮半島と縁があるものだと思います。この地方は蝦夷征伐に向かう拠点として文化的に栄えていきましたが、中央のヤマト政権が蝦夷とは違う文化をつくらなければならないというので、渡来人をどんどん入れたのだろうと言われています。東山道を通って絹織物、紙、弓矢の矢など、当時高級品だったものが税として中央政権に納められていました。これらの品々は渡来人が教えてくれた技術でした。

高久 那須町で一番古い歴史のある地区は伊王野地区だと言われています。むかしは、東山道がありまして、白河の関から伊王野を通って行ったという記録があります。義経などもその道を通ったと言われています。その後できたのが奥州街道で、そこは松尾芭蕉が『奥の細道』で通った道です。

福田 そういうむかしの文化、歴史のもとに、いまの那須があるということですよね。

高久 今回、山中先生が描いた『アユルものがたり』をひとつのきっかけにして、那須地方の人たちが気持ちをひとつにして、豊かな地域をつくっていければいいなと思いますね。

■子どもたちに伝え、郷土愛を育む

福田 開発されないまま残されている「宝もの」ということで、この地方を売り出そうと、いまいろいろやっています。
 那須烏山から那須まで「お祭りを一緒にやろう」とか、そういう時代になってくるんじゃないですかね。東北地方の三大祭り、仙台の七夕、秋田の竿燈、青森のねぶた祭りが夏に続けて開催され、観光客がそれを見るために東北地方を巡るように、栃木県東北部に伝わるそれぞれのお祭りを観光客が見て回るというようなことができればいいなと思っているんです。全体でまとまりのある祭りになると、この地方もだいぶ変わってくるのかなと思っています。

高久 これだけ広い地域で一つになるということは、全国的にもあまりないのではないでしょうか。

福田 那須国のお祭りというものが一つくらいできればいいのかなと思っています。
 私たちは、昨年、那須烏山文化未来塾というものを立ち上げました。

高久 どういう内容なのですか。

福田 いまは、山あげ祭を中心に、昔から伝わる文化やお祭りの記録を保存していく取り組みです。記録がぜんぜん残っていないんです。お祭りをやったという記録はあるのですが、どういう人たちが参加して、その人たちがどんな気持ちでお祭りをやっていたのか、そういう記録がないんです。実際に祭りに携わった人、それを見守った女性たちが、どういう気持ちでお祭りを迎え、参加していたのか、そういう記録を残していこうということで始まりました。また、子どもたちに山あげ祭をわかりやすく伝えるために山あげのミニュチュアをつくりたいと考えています。実際に目で見て理解してもらうために必要だと思っています。

高久 那須町でも「那須検定」というものをやっています。今年で5回目ですが、今年度からジュニア版の検定を始めようと考えています。自分たちの郷土、住んでいるところを知ることによって郷土愛を育んでもらおうと、子どもたちに検定の教材を配ろうと思っています。そのなかには、那須国の記述もありますから、そういうものが浸透していけば、子どもたちも古代那須国に興味を持ってくると思います。
 那須国の地域の人たちが一体感を持って、那須の文化や自然の魅力を発信していけば、これから注目されていくと思っています。

福田 お忙しいところを本当にありがとうございました。今後も「那須の国」のためによろしくお願いいたします。

高久町長X福田弘平氏

高久町長X福田弘平氏


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対 談「那須の国」を語る

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