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アユルものがたり『那須のくにのおはなし』出版記念対談

対 談「那須の国」を語る(Vol.2)

那須烏山市のあらまし
山あげ祭

山あげ祭

 那須烏山市は、栃木県の東端に位置し、県都宇都宮市から30kmほどの距離にあります。貫流する那珂川を中心に、西部は南那須と烏山の市街地を含む里山地域が広がり、東部は那珂川県立自然公園に属する山間地域が茨城県境まで続いています。
 市の大動脈となる幹線道路は、中央部を縦断する国道294号と横断する主要地方道宇都宮那須烏山線を中心に、9本の国道や主要地方道が走っています。また、地域色豊かなローカル線「JR烏山線」は、市民の足として親しまれているほか、大金駅や烏山駅など5つの駅が、市の玄関口としての重要な役割を果たしています。
 市の魅力のひとつである文化遺産では、国指定4件、県指定16件、市指定147件の指定文化財があり、16件の近代化遺産があります。

タイトルアイコン−「アユルものがたりー那須のくにのおはなし」発刊記念対談 −

那須烏山市・大谷範雄市長 × 烏山和紙会館館長・福田弘平氏

 2012年2月8日に「アユルものがたりー那須のくにのおはなし」が発刊された。作・絵の山中桃子氏が父である作家の故・立松和平氏の意思を継いで、約2年の歳月をかけて「那須の国」の古代文化を背景に書き上げた絵本である。「父が書くはずだった作品です。父が私に残してくれた仕事だと思っています」と、山中氏は胸のうちを語る。絵本の企画者である那須烏山市の烏山和紙会館館長・福田弘平氏が、那須烏山市・大谷範雄市長を訪ね、共に古代「那須の国」に想いを馳せて「那須の国の今」を語りあった。

■江戸時代の原形をとどめる烏山城址
大谷範雄市長

大谷範雄市長

福田弘平氏

福田弘平氏

大谷 八溝地域、那珂川沿川は、日本の原風景がまだまだ残っています。この豊かな自然を媒体に多くの観光客を呼び込んでいく「まちづくり」が(この地域には)ふさわしいのではないかと考えています。

福田 いたずらに開発されずに残った自然が宝物です。ここ何年かNPO法人「那珂川流域悠遊会」がボートで下野大橋(那須烏山)から大瀬の簗(茂木町)まで那珂川を下るイベントを開いていますが、この流域の眺めはすばらしいですね。別世界です。川をきれいにしようという趣旨で多くの方々に那珂川を見てもらうということで実施しています。亡くなられた立松和平さんも那珂川への思い入れがありました。「足尾」の次は(那珂川流域の)「那須」をテーマに書こうと話していました。

大谷 そういう自然豊かな地域に生まれたのが「山あげ祭」です。そして、ここは(交通、軍事上の)要衝であったことから山城ができました。こうしたことが、いまの烏山の礎でしょうね。

福田 山城廃止令が出てから、関東地方で山城が残ったのは烏山と群馬県の沼田だけです。沼田の城跡はいま、公園になっていて、(開発の)手が入ってしまっているんです。烏山の城跡は個人の所有になっていることから手が入っていない。幸いにも江戸時代と同じ地形で残されています。

大谷 いま、いろいろ調査をしていますが、当時そのままの地形です。

福田 本丸は調査を終えましたが、すばらしいです。それを見たいという人がけっこういますので観光協会で現地を案内しています。

大谷 石垣が残っていますね。本丸の跡地は高台にあり、樹木を少し整理すれば烏山の市街地と那珂川が望める絶好のスポットになります。

福田 まさに、お城をつくるには最適な場所だったのでしょうね。

大谷 お堀の跡も、原形がしっかり残っています。それを上から見学できるようにしたいと思っています。

■那珂川の水運の利によって繁栄

大谷 和紙は、烏山の最大の文化です。山あげにも和紙が使われています。

福田 山あげは、紙のまちだからできた祭りです。一番多いときには、紙漉きの農家が1000軒ありました。明治時代の記録に(製紙改良組合の)組合員数が935と記されています。戦前、昭和10年代には軍用紙をつくっているところが850ありました。主に境と向田地区です。戦後、急激に減少していきました。原料の楮は茨城県の大子でつくられていました。あとは馬頭の大山田や大内地区です。そこで取れた楮を烏山に集めて「那須楮」というブランドで全国に販売していました。

大谷 いま、紙をつくっているのは、栃木県で福田さんのところ一軒だけになってしまいましたね。

福田 オートメーション化が進んだため、多くがやめていきました。もう一つの要因はそれぞれの家庭が核家族になっていったことです。紙漉きは、大勢家族がいたからできたのです。お父ちゃん、お母ちゃんだけでは紙漉きはできません。子どもからお爺ちゃん、お婆ちゃんまでが手伝いをしてはじめて採算がとれる紙がつくれたのです。紙漉きをやめた農家は、鳥や豚、牛を飼うような農家になっていきました。紙漉きの歴史を見てみると、蔵が建っているところはいい紙を漉いていたようです。

大谷 和紙は貴重品だったのですね。

福田 そうです。その貴重品である紙を使う山あげは、よほど贅沢なお祭りだったんでしょうね。

大谷 烏山和紙は桂離宮に使われていますし、皇居の歌会始めのときにも使用されていますね。

福田 和紙づくりが盛んだったころ、烏山はずいぶん潤ったようです。

大谷 川を下って江戸へ運んだんでしょう。

福田 那珂川を使うルートと、真岡まで運んで鬼怒川から利根川に入るという2つのルートがあったようです。那珂川は直接海に出る川なので交通が便利でしたから、一番先に開けてくるのは、那珂川の流域、那須だったのです。東山道と那珂川の合わさり目に、那須官衙、国の役所があったわけです。
 渡来人が伝えたと言われる紙作りは那珂川の東側、絹織物は現在の熊田地区(旧南那須町)が中心でした。あとは、弓矢の矢で、これは那珂川沿いで作られていたようです。

大谷 熊田地区で作られ天皇に献上された絹織物が正倉院に残っているそうです。

福田 渡来人が、紙や絹織物が高価なものであることを教え、つくる技術を古代那須国の人たちに伝えた。朝鮮から来た人が泰人(たいびと)、中国から来た人が漢人(あやびと)。漢人は、仏教などいろいろな面で優れた人だったと思います。日本で一番古いと言われている国造碑が湯津上の笠石神社にありますが、そこに書かれた文字を見ると素晴らしい才能を持つ人が来ていたことがわかります。文字が非常に上手です。そういう優れた文化、技術を伝えてくられた渡来人が『アユルものがたり』の「アユル」として描かれました。

■歴史・財産のあるまち

― 2005年に、那須郡烏山町と同郡南那須町が合併して那須烏山市となった。市となって戦後生まれの大谷市長が誕生。福田氏は烏山町としての最後の町長だった。―

福田 烏山城は既にありましたが、烏山町ができたのは明治の初めです。烏山城下の屋敷町の一角に烏山という場所がありました。当時の赤坂村と酒主村が合併して烏山町になり、その後、境村、向田村及び七合村と合併しました。

大谷 南那須町は、荒川村と下江川村が合併して南那須村になり、その後町になりました。それ以前は、いくつもの字がありました。

福田 商業的には、旧烏山町の街中が中心だったんですね。それ以外の地区は、外へ出て商売をしないと食べていけなかった。街中は、大名商売みたいなことをやっていたようです。

大谷 商売で成功している方はほとんど近江商人です。宇都宮辺りからもかなり丁稚奉公で烏山に来ていたようです。それくらい栄えていたわけです。烏山藩は3万石持っていたわけですから。

福田 烏山で和紙と呉服業を営んでいた会社が、いまで言うスーパーマーケットを始めるため3階建ての鉄筋コンクリートのビルを建てたのですが、その当時、栃木県一のすばらしい建物と言われたようです。

大谷 私も記憶があります。そういう歴史・財産が那須烏山市にはあるのですが、まだまだ知名度が足りないように思います。これからもっとPRしていきたいと思っています。

福田 お忙しいところをありがとうございました。今後も那須の国・那須烏山市のためによろしくお願いいたします。

(構成:ビオス編集室)

那須烏山市・大谷範雄市長

那須烏山市・大谷範雄市長


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対 談「那須の国」を語る

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