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アユルものがたり『那須のくにのおはなし』出版記念対談

対 談「那須の国」を語る(Vol.4)

大田原市のあらまし
那須与一伝承館

那須与一伝承館

 平成17年10月、関東平野の最北に位置し栃木県の北東部の一角を占めている、大田原市・湯津上村・黒羽町の3市町村が合併して現在の「大田原市」が誕生しました。本市の中央部を南流する清流那珂川は鮎釣りの太公望でにぎわい、鮎の漁獲量は日本一を誇ります。西部には那須野が原扇状地の沃野が広がり、農・工・商の調和のとれた市民生活が営まれ、県北の拠点地域となっています。東部には緑豊かな八溝山地の山並みが南北に連なり、福島県や茨城県と接しています。
 本市は関東と東北との接点にあり、古代には那須国の中心的な地域として、中世には那須与一に代表される那須氏の本拠地として、近世には松尾芭蕉や徳川光圀ゆかりの地として、各時代において特徴ある歴史の舞台となっています。

タイトルアイコン−「アユルものがたりー那須のくにのおはなし」発刊記念対談 −

大田原市・津久井富雄市長 × 烏山和紙会館館長・福田弘平氏
■過去を見直し、次世代に伝えるものを考える
津久井富雄市長

津久井富雄市長

福田弘平氏

福田弘平氏

福田 『アユルものがたり』は、古代の那須地方のすばらしさ、栃木県内では一番早く開けた場所であるということを表現しようという思いで企画しました。作、画の山中桃子さんを那須地方に案内して、桃子さん自身が感じたことを描いてもらいました。

津久井 すばらしい企画です。我々那珂川流域に住むものが、未来の世代に引き渡すものとしても、いい本をつくっていただいたということで感謝しています。

福田 那珂川流域の市町が一体となることで、何かが生まれてくればいいな、そういう願いも込めて、この本をつくりました。

津久井 『アユルものがたり』をつくっていただいた同じ時期に、大田原市は、八溝山周辺の栃木、茨城、福島県の市町とともに、よりよい地域にするためお互い協力していきましょうという「八溝山周辺地域定住自立圏構想」について話し合ってきました。栃木県からは那須町、那須塩原市、大田原市、那珂川町が参加しています。やはり、私たちは、この那珂川流域の歴史、資源というものを再度見直して、未来に向けてどういうものを創りだし、どう伝えていくのかを考えることが大切だと思います。『アユルものがたり』は、温故知新といいますか、自分たちの先祖が時代時代でどう生きてきたのか、再度検証するためのきっかけになると思います。

福田 まずは古代から、次は中世、そういう形で、那須地方、那珂川流域の歴史や文化を見つめ続けていければ一番いいのかな、そんなふうに思っています。

■那珂川を通して太平洋側と日本海側が交流

津久井 先日、「源義経」 「那須与一」 「武蔵坊弁慶」 「静御前」にゆかりがある自治体の代表者がそれらを活かした観光振興の取り組みについて交流する「義経・与一・弁慶・静合同サミット」が奈良県で開かれまして、私も参加してきましたが、古代の那須国には奈良王朝、大和朝廷の郡庁舎として那須官衙がつくられ、大田原市湯津上に残されている那須国造碑が、国宝になっています。そこに歴史の重さを感じます。
 もう一つは、那珂川そのものが、太平洋につながっているということが那須国の古代歴史のなかでは重要な意味を持っているのでしょうね。那珂川、その支流である箒川を通して日本海側との交流があったという話も聞いています。古代、この地域はとても住みやすかったところではないのかなと思いますね。

福田 この地域に東山道ができましたが、官道ですから一般の人は通ることができない。いかにいい道ができても、一般物流はなかった。古代の物流の中心は川、当時の高速道路は川です。

津久井 大田原では、川の物流においては黒羽、湯津上が重要な場所だったのでしょうね。

福田 黒羽町は、“川の職人さん”といいますか、川の物流を担う人をたくさん育てたところです。かつて水戸市に黒羽町という地名がありましたが、そこは、河岸といわれた船着き場の船屋さんや、川の職人さんが集まってまちをつくったといわれています。烏山にも黒羽という姓の人がたくさんいます。

■弓の名手 那須与一生誕の地
津久井富雄市長と福田弘平氏

津久井富雄市長と福田弘平氏

津久井 那須家はもともと那須国の一豪族であったのでしょうが、その後那須地域一帯を治められるようになってきたというのは、源平合戦のなかで、与一公があれだけの手柄を立てたということが関係しているのでしょうね。

福田 那須家は、もともとは平家側についたようです。

津久井 与一公のお兄ちゃんたちはみんな平家の側について、源氏のほうも応援しておかないと大変だということで与一公は源氏についたようですね。

福田 兄弟のうち2人が源氏を応援して、与一が源平の戦いで名を上げたことで、那須家は許されるという形になったという説があります。

津久井 大田原市は、与一公が扇の的を見事に射落とした軍功により与えられた領地のある岡山県井原市と姉妹都市を締結しています。

福田 20年前に那須烏山の天性寺というお寺から、那須与一の750年忌にあわせて壊れた祠を直すための寄付をお願いする御触書が見つかりました。それがきっかけで、青森県、岡山県、新潟県の那須家の関係者を招いて交流会を開いたことがありますが、それまではお互い交流がなかったようです。岡山、新潟の那須氏は、「与一がうちのほうに来ていた」という話をしていました。青森の那須氏は、「うちは那須家の本流です」と話していました。

津久井 確かに那須氏の本家筋は青森に行かれたようですね。いずれにしても、源平合戦の英雄を誕生させたということは、那須地方の歴史のなかでも、うれしいことです。

福田 那須与一が、なぜ扇の的の射手に選ばれたのかはわかっていませんが、烏山では、今でいう国体のようなもので、茨城県の鹿島神宮で毎年開催されていた弓の大会で与一が優勝し、それで射手に選ばれたのではないかという見方もあります。

津久井 こどものころ、那須野が原を駆け巡りながら、ひばりの爪を射抜くほどの弓の名手だったとの伝えがあります。那須野が原のひばりに爪がないのは、与一公に射たれたからだと。これは、後世つくられたお話なのでしょうが、それくらいの弓の名手だということなのでしょう。

■地域の品格を磨く

津久井 私たちが、この地域に住んで、どのような社会形態をつくって未来につないでいくか、ということを考えていくとき、ベースに、この恵まれた自然というもの、歴史というものを認識し、そこから、何をなすべきかを考えていくことが大切だと思います。先人の生き方をひとつひとつ紐解いて行くという部分で、お互い研鑽していかなければならないと思います。

福田 この地域は栃木県内において、北の壁といいますか、高原、那須、八溝の山々があって、栃木県の3分の2の土地を潤す水は、那珂川系列の水です。これは、これからの生活を豊かにするためには大切なことです。将来、水が足りない、渇水の時代が来ると言われていますが、那珂川流域のこの地は、水が淡々と絶えることなく流れ、豊かな地域になると思っていますので、将来に向けて、より山もきれいにして、いい水を出していくということをやっていかないといけないのかなという気がします。

津久井 戦後、植林政策により山がよく手入れされていましたが、現在は林業が衰退して山林が荒れています。那珂川水系の地域には八溝山系もありますので、これをもう一度見直し、手入れしていくことも必要かもしれません。

福田 太陽の光が地面に当たるところを増やしていくことが大切です。

津久井 少子高齢と言われていますが、機械の力を活かせば、少ない人数でも山の管理がきちっとできる。いま、言われたように陽が地面に当たり、下木が茂ってくることで、水を涵養し、川を浄化していきながら清流をつくり、そこに魚が棲み、海にも養分を運び海の魚を育てていく。そういうことを自然に行われてきた昔の良さを、もう一度見直して、我々人間が壊してきたものを逆に作り直していくということが、私たちに課せられた課題なのかもしれません。
 特に、いまは、放射能汚染という問題があります。今回の原発事故による放射能汚染を神の啓示といいますか、人間がしっかり受け止めて、どう克服していくのか、そのことを真剣に考えていかないと、人間の将来もないのではないかと思えてきます。

福田 先日、烏山で、雲巌寺の原宗明・老大師にお話をしていただきました。その地方に品があるといいますか、そういうことが大切なのだということをおっしゃっていました。この地方には、山も川も、そこに住む人たちにも品がある、そういう地域社会をつくることが必要じゃないのかということを話されました。そのためには、手をかけられるところは手をかける、自然を残すところは残す、というかたちできちっとやっていくことがこの那須地方、那珂川流域の大切なところだとお思います。やはり、自然を生かしていくことが必要かなと思いますね。

津久井 私も思います。東京に行って、ビルディングがドーンと建っている光景を見ると、これはこれで格好いいなと思いますが、あのビルに入って過ごしている人たちの場合、自然の中で暮らしている我々と比較してみて、どうなのだろうなと思います。人生のうちの少なくても土、日曜日くらいは田舎に来てゆっくり羽を伸ばして、そしてまた、都会の激戦地のなかに戻って、英気を養った力を発揮しながら社会に貢献していくというライフスタイルをして行けば、田舎と都会が共生できる。しかも自然の大切さもしっかりわかっていて、人間が21世紀に何をなすべきか、そのこともしっかり考えていく。人間は都会で住んでいるだけではだめだし、田舎だけに留まっているだけではよくない。両方が交流をしながら融合していって、将来の人間像を今のうちから培っていかなければならない。そのために、やはり温故知新、これまでの歴史から学ぶことが大切ですし、いま言われたような、人間の品格、地域の品格、人間はどういう生き物でなければならないのか、ということを人間自身がしっかり考えてコントロールしていかなければならないと思います。その意味で、今は大事な時期ですね。

福田 私もそう思います。本日は、ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。

(構成:ビオス編集室)

大田原市・津久井富雄市長と福田弘平氏


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