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精神科医のニア・ミス

「精神科医のニア・ミス」第二十四回

正装の味

〜たまには畏まるのもいい〜

ハートインクリニック 頌春

ハートインクリニック 頌春

江藤暢英氏(1940〜2010)

江藤暢英氏(1940〜2010)

近所の月山神社

近所の月山神社

 ベラルーシ国立放射線医学研究所の所長が秋田県庁を訪れ、知事ら関係者と挨拶を交わす場面がテレビで報道された。遠来の客は正装なのに、わが方は知事以下ウオームビズ。所長は相手が秋田県のトップたちということで威儀を正して会見の臨んだはずで、となると何とも滑稽というか、違和感が残る映像だった。
 男鹿半島の住民が「神様」と呼ぶ名医がいた。彼は10年前に急逝したが、「医師会が勉強会に招く講師は背広姿なのに、聴講する会員の格好がラフすぎる」とぼやき、ネクタイだけでもして来なさいと若い医師を注意していた。上司と出かける時は、その人がステテコ姿でも若い者は正装して付き添えと教えて下さった学生時代の恩師もいる。今、80歳を越えたこの恩師と食事をご一緒する際、私はなるべく新しい背広を着ていく。
 2年前に胃がんで亡くなった神戸の江藤暢英氏は私のクリニックの設計者である。3回忌が過ぎた昨年師走、ご夫人からとんでもない申し出があった。ご夫妻が国賓として招かれたウイーンの舞踏会で着用したタキシード一式を、体格が似ている私に形見分けしたい…。彫刻家イサム・ノグチの弟子だった江藤氏は、交友関係も仕事もグローバル時代の先駆け、私ごとき田舎医者とは別世界の人間であった。さらに私は置いておくとして、では、細君は何を着用すればよいのか。彼女はこうもおっしゃる。あなたも還暦、これから着る機会が増えます、4人のお子さんたちの華燭の宴も遠くないでしょう…えっ!
 年末年始は近くの神社で様々な行事が執り行われる。雪の舞う境内、肌を刺す冷気、ぞろぞろ歩く礼装の中高年男たち―日本の正月だ。一方、日本国民の66万人、秋田県人口の半分以上が海外の観光地で年越しをするという。うらやましいというか、罰当たりというか…。ぼやきの主は、「フランスはあまりに遠し、せめては新しき背広を着て(朔太郎)」お屠蘇を頂き、医神アスクレピオスの蛇のようにとぐろを巻いて、シャルウイダンス?…謹賀新年。


尾根白弾峰
尾根白弾峰(佐々木 康雄)
  • 旧・大内町出身 本荘高校卒
  • 1980年 自治医大卒
  • 秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務
平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)
平成16年〜20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長


プロフィール

 1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。
 ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。
80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。
 81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。
93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。
 地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。
 主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。
医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。


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