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精神科医のニア・ミス

「精神科医のニア・ミス」第三十二回

盗難騒動あれこれ

トモコ(左)と宇都宮で

トモコ(左)と宇都宮で

八郎潟サンバ(左端クイーカが筆者)

八郎潟サンバ(左端クイーカが筆者)

秋田の夏・早朝散歩

秋田の夏・早朝散歩

 ある旅行業界誌によると、昨年1年間に海外渡航した約2万人に行った調査では、現金持参額は平均20万円で、最も多いトラブルは現金の紛失・盗難、平均被害額は1人約3万5千円という。
 30年ほど前、私もパリのモンパルナス駅のドゥシェ(貸シャワー)でやられた。久々に垢を流し、駅前のベンチで風に吹かれていて財布の置き忘れに気付いた。慌てて戻ったが手遅れ。中にはパスポートと帰りの航空チケットが入っていた。青い顔でオベール家を訪ね、画家のトモコに話した途端、彼女は激怒。「滞在1カ月の慣れたころが危ないって、あれほど言ってたのに!」
 その8年後、今度はパリのメトロで。大して混んでもいないのに2人の男が身を寄せてくる。気色悪い奴らめと思っていたら電車が止まり、2人は降りた。ドアが閉まる直前、彼らはニヤリ。よもやと尻ポケットに手をやったら、財布がない! パスポート類は別にしていたので被害は現金3万円弱。が、オベール家に戻るとまたもやトモコのこめかみに青筋が立った。「あなたね、まるで私がやられたような気がするから、頭に来るの!」
 バルセロナのサクラダファミリア前に4人の日本人がいた。聞けば全員一人旅。これも何かの縁、一緒に晩飯をということで裏通りの小さな店へ。大いに飲んで食べ、パエリアは米のうまい日本が上かなどと上機嫌で店を出たその刹那、女性の1人が肩から下げたバックをひったくられた。追いかけると犯人は振り返り、抜き身のナイフを闇にかざす。追跡は中止、全員で最寄りの警察署へ。
 スペイン語が堪能な1人によると、犯人の目的は現金で、パスポートなどは明朝届くだろうと警官は言っている…。だが女性はべそをかいているし、我々は団体旅行ではない。金を出し合って彼女に渡し、解散した。帰国後、彼女から手紙が届き、翌朝、現金だけ抜き取られたバッグを警察署で受け取った、スペイン人は憎めないですねと結んでいた。また怒られそうで、この話はトモコにはしていない。


尾根白弾峰
尾根白弾峰(佐々木 康雄)
  • 旧・大内町出身 本荘高校卒
  • 1980年 自治医大卒
  • 秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務
平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)
平成16年〜20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長


プロフィール

 1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。
 ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。
 80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。
 81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。
 93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。
 地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。
 主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。
 医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。


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