ピックアップとっておきの一冊インドネシアの海精神科医のニア・ミス伝統と文化−下野手仕事会−栃木のステキ美術館だより地域レポート遥かなる戦争と遠ざかる昭和おもしろ日本美術3アユルものがたり―那須のくにのおはなし―
  • トップページ
  • 編集、制作
  • 出版
  • 企画
  • ビオスインタビュー
  • 巴里通信
  • 出版物一覧
  • お客様の声
  • 会社概要
pre_bios
精神科医のニア・ミス

「精神科医のニア・ミス」第四十回

角館の桜

〜花見とぎっくり腰〜

武家屋敷通り

武家屋敷通り

武家屋敷通りから間近の古城山

武家屋敷通りから間近の古城山

古城山本丸から

古城山本丸から

 毎年、田植えがストレスで不眠になる45歳男性が今年も受診した。堅物の彼が、「今日は腰痛の薬も下さい。先生の腰、今年は大丈夫?」と珍しくニヤリ。「読んだ?」「はい。自分もこの時期ぎっくり腰やるのでコルセットします」
 彼が読んだのは秋田魁新聞が毎週発行するフリーペーパー(http://www.sakigake.jp/a/mari2/)マリマリ第4金曜号、私が担当して71回目となるコラム「輝きの処方箋」で、内容は以下の如し。
 花見酒の後で何度かぎっくり腰をやり、あるとき因果関係を考察した。昼から夕方まで桜の下であぐらをかいて酒を飲み、腰にヒネリの負荷をかけ、翌日、腰に違和感を覚えながら中腰で作業をしていて突然、激痛に襲われる。花見は避けられない。だがあぐらは工夫できる。前兆である腰の重さを感じたら仕事はサボる…。
 私のぎっくり腰発症?の地、秋田の角館に今年も出かけた。角館で交差する2本の国道は渋滞するので秋田駅で新幹線に乗り、角館駅から歩く。450本の枝垂れ桜を誇る武家屋敷通りは渋谷駅前スクランブルなみの混雑。その人垣を縫い、武家屋敷から10分で標高80メートルの角館城址・古城山(ふるしろやま)本丸に着く。人影はいつもまばら。眼下の街はすっぽり桜色。穴場だ。
 登り口に七色稲荷神社がある。掃除している女性がいた。「7回つらい目にあって、七色に化けたキツネを祀っています。毎日拝むようになってから家庭円満、私も病気知らず…」ほう。「腰に効きますよ。先生もいかが?」えっ!
 山を下り、呑めや歌えの酔客で賑わう桧木内川河川敷へ。目指すは角館の9月祭典「曳山ぶっつけ」上新町丁内若衆の花見会。今年も笛太鼓で絶好調。「先生、よぐ来てけだ。まず、かだれ(加われ)」花より団子。タブーのあぐらで乾杯。空は青、花は桜木、人は武士。2キロも続く土手の染井吉野は満開、頬を紅く染めた若衆は全開だ。角館病院勤務当時は、昼から川面を渡る夜風が冷たくなるまでやって、ぎっくり腰を招いた。最近は長呑みを避け、コルセットを忘れない。だが宵闇迫る街に繰り出してからが長過ぎた。あとは知らぬがお稲荷さん。翌朝の診察は頭も腰もきつかった。
  • 七色稲荷神社

    七色稲荷神社

  • 檜木内川土手

    檜木内川土手

  • 角館上新町丁内

    角館上新町丁内


尾根白弾峰
尾根白弾峰(佐々木 康雄)
  • 旧・大内町出身 本荘高校卒
  • 1980年 自治医大卒
  • 秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務
平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)
平成16年〜20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長


プロフィール

 1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。
 ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。
 80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。
 81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。
 93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。
 地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。
 主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。
 医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。


バックナンバー

ページのトップに戻る