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精神科医のニア・ミス

「精神科医のニア・ミス」第四十八回

男鹿半島冬景色

〜話題のE型肝炎にやられて〜

打ち上げられたハタハタのブリコ

打ち上げられたハタハタのブリコ

ブリコは人がとると犯罪、カモメはOK

ブリコは人がとると犯罪、カモメはOK

病室でハタハタのぶりこ(卵)を調理中

病室でハタハタのぶりこ(卵)を調理中

迷惑な見舞客たちと

迷惑な見舞客たちと

 今日の秋田新幹線「こまち」は揺れが少ない…と、うたた寝から覚めたら窓の下は季節ハタハタ漁にわく船川港、私は日本海を望む男鹿みなと市民病院の4階特室だった。3食昼寝付き、看護士ら職員はみな秋田美人で親切、差額1泊5千円はホテルより安い。大陸から来訪した「なまはげ」が住みついた理由がよくわかった。
 だるい、食えないで師走初日に友人の医院を受診した。眼を見せろという。「黄色い」「おぬし、皺がふえた」。40年来の付き合いだが至近距離で顔を見るは初めてだ。検査の結果GOT、GPTが3000弱。入院となる。
 GOT、GPTは肝細胞の中から血中に出てくる酵素で、新陳代謝で古い細胞が壊されても血中に出るため30前後が正常、過度の飲酒でも100〜200。3000だと肝臓は赤く腫れハタハタ漁みたいな騒ぎで、劇症化すると危ない。急性肝障害は牡蠣など海産物の生食で感染するA型ウイルス肝炎、血液感染のB型、C型、サプリなど薬剤性もある。安静で諸症状は盛岡・秋田間のこまちのようにゆっくり快方に向かい、やがて潜伏期間2〜8週のE型ウイルスと判明した。「過去2ヶ月間に四足の生肉は?」と主治医。夕べの食事もうろ覚えです…。
 沈黙の臓器・肝臓にふと忠臣蔵を連想した。大石内蔵助は主君浅野内匠頭の切腹とお家断絶の後、仇討ちを叫ぶ藩士らを抑え、浅野家の面目が立つよう幕府へ執拗に働きかけた。書状には幕府の偏った処遇への批判も忘れていない。そして全てが徒労だったと判断するや、動く。その間、廓通いの遊び人、昼行燈と周囲に批判され続けたが、彼はわが肝臓の如く臥薪嘗胆、機が熟すのを待った。一方の私は休肝日を設けるなど、コツコツためてきた健康貯金をそっくり持って行かれた感じである。
 肝炎で1年ほど療養したある医師は、退院後3年間、ノンアルコールビールで耐えた。今を我が世の春と呑み呆けている仲間にこの話をメールしたら、あろうことか医者の不養生伝説と結び付き、私は「飲み過ぎで肝臓をやられた」ことになり、酒は関係ないといくら訂正しても埒が明かない。肝臓にいいと漁港で求めた新鮮なハタハタを持参し特室で刺身に下ろす男まで現れる。
 人生がままならないのは慣れている。今回は体もままならないと思い知った。暴風雪にむせび泣く半島の海と山を眺め、困難でも次の3点に絞って生き方を変えようと決意した。宴会は乾杯のみ。撤退は早めに。人の話はよく聞く。その前に甘党に変身だ。


尾根白弾峰
尾根白弾峰(佐々木 康雄)
  • 旧・大内町出身 本荘高校卒
  • 1980年 自治医大卒
  • 秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務
平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)
平成16年〜20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長


プロフィール

 1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。
 ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。
 80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。
 81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。
 93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。
 地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。
 主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。
 医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。


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