ピックアップとっておきの一冊インドネシアの海精神科医のニア・ミス伝統と文化−下野手仕事会−栃木のステキ美術館だより地域レポート遥かなる戦争と遠ざかる昭和おもしろ日本美術3アユルものがたり―那須のくにのおはなし―
  • トップページ
  • 編集、制作
  • 出版
  • 企画
  • ビオスインタビュー
  • 巴里通信
  • 出版物一覧
  • お客様の声
  • 会社概要
pre_bios
精神科医のニア・ミス

「精神科医のニア・ミス」第四十九回

焦点をしぼる

〜冬場のお風呂にご用心〜

秋田県能代名物「ベラボー凧」

秋田県能代名物「ベラボー凧」

大仙市協和スキー場から奥羽山脈を望む

大仙市協和スキー場から奥羽山脈を望む

氷の張った潟上市くらかけ沼とジオン君

氷の張った潟上市くらかけ沼とジオン君

和賀山塊の向こうに聳える森吉山

和賀山塊の向こうに聳える森吉山

 昔、子供たちのテニス大会に付き添った時、他チームのコーチが試合に敗れた選手にかけていた言葉が印象に残っている。「実力は互角だったが、君は相手より先に疲れてしまった。敵より1分くらい遅れて疲れる練習をしよう」と、それだけだった。他の選手にも彼は1つしか言わなかった。まさにワンポイント・アドバイスである。
 幼い子供や認知症の人に用事を2つも3つも頼むと1つも果たせないことが多い。小言もたくさん並べると全部無視される。これは医師が患者を指導する際も同じで、「睡眠を十分とって、食べ過ぎに注意し、運動を心がけ…」とやるより、「午前1時に寝るのを午後11時に」と焦点を絞り、それ以外は口にしない方が有効な場合が多い。
 秋田県警が発表した昨年の入浴事故死は174件で、交通事故死の約5倍だった。12月〜2月に老人が寒い家庭の風呂場に入り、急激な温度変化によってショック死・溺死してしまうのである。実際、飲み仲間や患者にこの話をすると、そういえば隣の町内の婆さんが、知人の爺さんがなど必ずと言っていいくらい身近な例を挙げてくる。
 一方、全館暖房の公衆浴場や温泉、自宅の「脱衣所」での事故は統計上ほぼゼロである。にもかかわらず事故予防キャンペーンは、「脱衣所と浴室を温めよう」の一点張り。温めてもあまり意味がない「脱衣所」をはずし、「浴室」に限定した方が分かりやすく、理にかなっている。
 ということで一昨年、還暦祝い?に私も暖房付き浴室を導入した。瞬時に浴室が温まる。実は20年前の新築時に大工の棟梁に相談したのだが、「風呂場に暖房? バカバカしい」と一笑に付された。ところが今年80才になった棟梁は先日こうのたまった。「冬場は危ないから俺は絶対に自宅の風呂は使わない。毎日温泉めぐりさ。みんな『風呂場で死ぬのは最高のピンピンコロリ』というが、発見が遅れると浴槽で…ま、焼かれる前に溶けておくのも人生か。燃えるばかりの中東も、少しとろけて融和できないかねー」


尾根白弾峰
尾根白弾峰(佐々木 康雄)
  • 旧・大内町出身 本荘高校卒
  • 1980年 自治医大卒
  • 秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務
平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)
平成16年〜20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長


プロフィール

 1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。
 ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。
 80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。
 81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。
 93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。
 地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。
 主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。
 医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。


バックナンバー

ページのトップに戻る