ピックアップ山中桃子個展ナイジェリアの太陽精神科医のニア・ミス伝統と文化−下野手仕事会−栃木のステキ美術館だより地域レポート遥かなる戦争と遠ざかる昭和おもしろ日本美術3アユルものがたり―那須のくにのおはなし―
  • トップページ
  • 編集、制作
  • 出版
  • 企画
  • ビオスインタビュー
  • 巴里通信
  • 出版物一覧
  • お客様の声
  • 会社概要
pre_bios
精神科医のニア・ミス

「精神科医のニア・ミス」第五十四回

礼節

〜デムーロ騎手に学ぶ〜

デムーロ騎手(TV画面より)

デムーロ騎手(TV画面より)

TVを一緒に見てくれるわが友ジオン

TVを一緒に見てくれるわが友ジオン

青春時代からのわが友Tomoko K. OBER(パリ在住)。Tomokoの東京での展示会にて(6月7日)

青春時代からのわが友Tomoko K. OBER(パリ在住)。Tomokoの東京での展示会にて(6月7日)

 去る5月31日の第82回日本ダービー。3歳馬ドゥラメンテにまたがったイタリア人騎手ミルコ・デムーロ騎手が優勝した。皐月賞と合わせ今年2冠だそうだが、彼は2012年10月の天皇賞で勝った時、即座に貴賓席前で馬を下り、ヘルメットを胸に当ててひざまずき、両陛下に最上級の礼を示した。観客席から大きな拍手と歓声が上がり、天覧試合に花を添えた。私は今回のダービー同様テレビ観戦だったが、とにかくかっこよかった。キザなイタリア人にはかなわない。
 昔、長野五輪で逆の場面を見たことがある。ある日本人選手が優勝した。君が代が流れ日の丸が掲揚される表彰台で銀銅の外国人選手は帽子を取り、胸に腕を当て日章旗に敬意を表したが、この選手は帽子もとらず、やや右肩を下げて栄誉を受けた。海外メディアは即日この姿を非難したが、国内メディアは3日後に、海外で何か騒いでいるらしいと寛容だった。
 生涯教育の一環で医師は多くの講演会や勉強会に参加する。その昔、「講師は正装なのに、聴講する医師の身だしなみがラフすぎて失礼だ。ネクタイが面倒なら、せめてスーツを着用しなさい」と諭す高齢の先生がおられた。もっともな話だが、しかし今でも会場を見渡すとあの教訓がどれくらい生きているか、怪しい。
 学生時代、学内では「おい、ササキ」と呼ぶある教授は、学外では「さん」付けになる。理由を尋ねたら、内と外のケジメだとおっしゃる。教授回診でも「すみませんが、学生に腹を触らせてやって下さい」と丁重だった。胆のうを切除した患者に、「馬と鹿には生まれつき胆のうがないのです」と話したことがあった。患者が「私は馬鹿と同じになったのですか?」と問うと教授は、「実は5年前に私もなくしました」と応え、病室に笑いが広がった。
 デムーロ騎手は東京競馬場の2400メートルを時速60キロ超で走り抜けた。光陰矢の如し。還暦を過ぎても先達に学ぶ事柄は多く且つ身につかぬまま馬齢を重ね、衣食足りて礼節を知る武士道も今や風前の灯。デムーロ騎手に感動するのも、残りわずかなサムライの血が騒ぐからであろうか。


尾根白弾峰
尾根白弾峰(佐々木 康雄)
  • 旧・大内町出身 本荘高校卒
  • 1980年 自治医大卒
  • 秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務
平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)
平成16年〜20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長


プロフィール

 1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。
 ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。
 80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。
 81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。
 93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。
 地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。
 主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。
 医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。


バックナンバー

ページのトップに戻る