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ビオス電子版スペシャル対談

ビオス電子版スペシャル対談

タイトルアイコン−「益子の歴史と文化」の中で益子に生きる −

益子町 大塚 朋之 町長 × 下野手仕事会元会長・
栃木県指定無形文化財工芸技術保持者 日下田 正

 栃木県南東部に位置する芳賀郡の益子町。益子焼の産地として知られるが、半世紀前から続く春と夏の陶器市は県内外から延べ60万人の人出となる。そして、新たな息吹として6年前から開催している土祭(ひじさい)が全国から注目を集めている。
 今回、町のリーダーである町長を3期務める大塚朋之(おおつか ともゆき)町長と、江戸寛政年間(1789〜1800)から200年以上も続く紺屋(藍染屋)9代目代表の日下田正(ひげた ただし)さんに益子町の歴史と文化を中心に益子に生きる人々の姿を語っていただいた。

■中世の国指定文化財がある町
大塚朋之町長

大塚朋之町長

日下田 正さん

日下田 正さん

益子町長室にて対談する大塚町長(右)と日下田さん

益子町長室にて対談する大塚町長(右)と日下田さん

西明寺楼門

国指定文化財「西明寺楼門」

綱神社本殿

国指定文化財「綱神社本殿」

創業時代から使われてきた藍甕

創業時代から使われてきた藍甕

日下田工房のギャラリー

日下田工房のギャラリー

山繭

山繭

日下田さんが栽培した木綿

日下田さんが栽培した木綿

糸を紡ぐ日下田さん

糸を紡ぐ日下田さん

訪れた人に機織の説明をする日下田さん

訪れた人に機織の説明をする日下田さん

土祭のチラシ

土祭のチラシ

土祭で行われるファッションショーのパンフレット

土祭で行われるファッションショーのパンフレット

日下田  栃木県に下野手仕事会(藤田眞一会長)という職人の集まりの会があります。40数年前に栃木県立博物館の前身「栃木県立郷土資料館」館長の尾島利雄さん(民俗学者)と市貝町武者絵の大畑耕雲(力三)さん、烏山和紙の福田長太郎さん、間々田組紐の渡辺浅市さんたちが発起人になりまして、栃木県の風土が育てた伝統工芸を絶やさないようにという意味合いでつくった任意団体です。益子町では埴輪の大塚明さん、陶芸の青山万里さん、筒描藍染の若菜萠さんと私の4人が会員となっていますが、会は県の後押しや私たちの仕事を紹介してくださる皆さんのお力で、今まで継続することができました。今回、下野手仕事会会員(元会長)として、町長さんと共に益子町の歴史と文化に触れつつ今の益子町についてお話しをさせていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

町長  こちらこそよろしくお願いいたします。読者の方々にまず知っていただきたいことは、益子町は焼き物の町で広く知られていますが、実は中世の文化財がとても多い所なのです。中世の文化財で国指定の建造物が一番多いところは京都で、二番目は奈良です。日光市は有名ですが江戸時代以降の建造物ですから、東日本では唯一益子町だけがトップ10に入っています。益子町は全国で10番目になります。
 中世の建造物は大体途中で焼失してしまったりするのが多くて、益子町の場合は先輩方が火災の度に建て直しをしていて、今でも国指定文化財が七つ残っています。先輩方が残してくれた素晴らしいものがあるということが、多分益子の風土や文化に大きく影響しているのではないかと思います。古いものを大切にしてそれをしっかり継承していくということは、今に始まったことではなくて、随分昔からそれが行われてきたということですね。
 ここ数年、まず自分たちの足元にある宝物を見つめ直そうという企画やイベントなども様々に行われていますが、少しずつそういったところが注目されているかなと思います。

日下田  私も益子町の文化財保護審議会で委員をしておりますが、町長さんのお話のように、いわゆる先人たちが守ってきた文化財は非常に内容の濃いものが残っています。それをどういう風にして守り継いでいくかが大切なことだと思っています。町長さんの考え方もあるかと思いますが、数年前からいわゆる指定文化財を中心とした町づくりを柱の一つとしてやってこうではないかという空気が、町の皆さんにだいぶ浸透してきていると感じています。
 例えば栃木県で文化財が圧倒的に多いのは日光、その次は足利になりますが、それでも中世のものは益子町が本当によく残しています。そういう点では大切にしなくてはいけないかなと思います。

町長  実際には建造物を維持していくのは大変です。改修する際は多額の費用もかかりますから、途中で維持ができなくなってしまう地域も多々あったと思います。そういう中で益子町の先輩たちは多分いろいろなものを我慢しながらだと思いますが、最優先で地域の宝物を守って行こうと思ったのではないでしょうか。西明寺では重要文化財が三つありますが、2回ほど火災にあっています。創建は奈良時代の天平年間、ここから益子という歴史が始まっていきます。その後も火災にあっていますが、その度に先輩たちが再建してきた歴史があります。私たちもその思いを受けながら地域づくり街づくりをしていくと、それが次に繋がるのかなと思います。
 しかし、課題もあります。これから高齢化が進んで子どもたちが少なくなっていく、そういう地域に限って文化財があります。地域の高齢化が進めば進むほど、その地域・所有者だけで文化財を守るのは難しくなります。国指定の文化財ですから益子町民はもちろんですが、栃木県民もしくは日本国民全体の宝物として守っていけるような、何かそういう仕組みができるといいかなと考えています。
 「こんなに素晴らしい文化財があります。是非皆さんご覧になってみてください」と私たちは出来るだけ発信していきますので、例えば、ふるさと納税という制度もありますから、「益子町もこういうものを何とか守り継いでいきたいので、寄付していただけませんか」というような流れを作っていけたらいいなと思っています。

■次世代に伝統文化を継承させるための教育の取り組み

町長  次世代へ文化を継承させる取り組みとして、子どもたちの社会科読本で通常の全国版の教科書には載っていない益子の歴史を詳しく教えています。日本史を学ぶと同時に益子の歴史も学びます。例えば、鎌倉幕府(1192年)がつくられたとき、源頼朝の側近が宇都宮家でした。三代当主宇都宮朝綱公が益子の大羽地区という所に地蔵院、綱神社を建立するのですが、これは鎌倉幕府がつくられて2年後です。全国的な歴史ではこういう動きがあったなかで「そのころ益子では源頼朝の側近が益子にこういうものを築いた。そして元(げん)の襲来のときには宇都宮家と一緒に北九州の方に遠征に行くんだよ」などと立体的に歴史を学んでいきます。
 また、伝統芸能の中で太々神楽などが各神社にありますが、子どもたちも一緒に伝統芸能を守る主体になってくれています。小さい時から地域学といいましょうか、そのようなことを学ぶ仕掛けが複合的にあります。学校の教師だけでは難しいですから地域の方々が中心になって子どもたちに教えたりしています。9月の「土祭」などの町の企画にも子どもたちが自分たちの企画として参画しています。

日下田  私の仕事がいわゆる藍染屋ですから、それを次世代に伝える方法としてですが、この辺りの地域、芳賀郡の小学校は4年生で「伝統工芸を勉強する」というカリキュラムがあります。生徒さんが益子焼の見学後に私の所に「昔は盛んだった仕事なんですよ」ということで見学に来ますので、できるだけ丁寧にわかりやすく説明しようと心掛けております。
 若い人の教育という点では、私は20数年栃木県立白楊高校で教えています。かつて農業高校から校名や学科を変更する際に、栃木県の教育委員会から服飾デザイン科を作るということで相談を受けました。服飾デザインは布を扱いますから、指導なさる先生は、「布がどういう風に出来上がっていくのか」ということなどから教えていきたいと考えていましたが、糸を紡ぐ、染める、そして織るという経験を持った先生方がいらっしゃらない。私は織が専門ですから最初の1年間だけでもとまいりましたが、そのまま今年で20数年もたってしまいました。
 学校では生徒さんたちも非常に興味を持っていて、例えば、「羊の毛を糸にするというのはどういうことか」、「天然染料についてはどうなのか」など尋ねてきます。今は世の中にあふれている色は100%化学染料のいわゆる合成染料で、それ以前の自然界が持っている色、つまり「草木染」で染めて糸にして機にかけて布を織るところまでやります。卒業後、今では相当活躍し出した生徒さんもいます。
 また、栃木県立益子特別支援学校の高校生が藍染をやりたいというので絞り染めを教えています。1年に1回だけですが私自身楽しみにしていることです。私の所から藍の液を運んで、生徒さんみんなが工夫して針と糸で縫い、絞ったり輪ゴムで締めたりして青色に染める。一生懸命に生徒さんたちがやってくれて、ユニークな楽しい作品ができます。今年も9月になったら間もなくそういう時期になりますね。そういう点で私たち伝統工芸という世界に携わる者のある意味では役目なのかなという感じがいたします。

■土祭(ひじさい)と地域再生

町長  土祭のスタートは2009年が第1回目ですが、当時は市町村合併の話の直後でした。益子町は単独で行くと決定したのですが、実際やっていけるのだろうかというような状況もありました。益子町そのものもあまりお金がない中で、とにかく今あるもので、今いる人たちで、みんなで汗を流しあえば益子が元気になるのではないかと、文化の力でそれぞれの地域を元気にして行こうじゃないかと、それで始まったのが土祭です。
 土祭の目的は、1つは地域を再生すること、それから益子文化というものを醸成すること、こういったことを目的にしてスタートして、3年に1度なので2012年に第2回目、今回は第3回目というわけです。土祭の中で「文化」といっても非常に幅広いですから、現代アートの展示も演劇、演奏会などもあります。
 今回は特に文化の種蒔きの意を込めて新しく「益子手仕事村」構想を提起しました。濱田庄司先生が戦前、昭和10年ごろ益子のいろいろな職人、手仕事をやってらっしゃる方を集めて、「益子を将来手仕事の町にしようじゃないか」ということでいろいろな勉強会を重ねられたという先例もあります。その中のメンバーの一人に日下田さんのお父さんがいらっしゃいました。

日下田  若い頃は非常に感化されたというか影響を受けました。始まりはアーツ・アンド・クラフツ運動、日本の民芸運動、それが基だと思います。濱田先生は「益子を手仕事の町にしようじゃないか」という構想を持ってずっと頑張っていましたね。益子も鍛冶屋さんや家具屋さんなど、昭和の初めの頃は職人の家がまだ沢山あって、稼業として親から子へ、子から孫へと職人の血は続いていますので若い人たちが集まりました。昭和の大不況があって時代的にみんな不安を持っていたと思うんですね。私の父もどうしようかと迷ったようですが、その時に手仕事の意味を濱田先生は問うて、頑張りなさいと励ましてくれたと父は言っておりました。
 そういう意味でも土祭は益子の文化を見つめ直すことから始まりましたので、やはり「濱田庄司」は大変に大きな存在です。今の益子もいろいろなモノづくりの人たちが集まって来ていますから、濱田先生がどんなことを心描いていたんだろう、益子参考館にどんな想いを込めてつくったのだろうと、あの時代にどういう先輩たちがいたのかなどと思い巡らせていくうちに、今の仲間と一緒に出来る事があるのではないかということだと思います。
 土祭で藍染のファッションショーがありますが、企画したのは宇都宮市の釜川の辺りでファッションショーをしたりライブをしたりしている白楊高校の卒業生です。その生徒が益子でファッションショーをやりたいと言い出しまして、テーマも藍染を中心にしたショーをするんだということで、感心するくらいに一生懸命準備をしています。若い人たちの力です。デザイナー、カメラマン、音響の人、みんな友だちとして集まって新しいイベントをやろうということです。私も最初は心配したのですが、しっかりとショーの準備をすすめているそうで、とても楽しみになりました。

町長  文化財に関しては、話をしてもそれだけで人はなかなか行ってくれないですね。土祭の期間中は、例えばそこにサウンドインスタレーションという音のアートを配置するなどしたり、西明寺や綱神社といった文化財を会場にすることによって、自ずと文化財に触れていながら廻っていくような仕掛けにしています。アートを展示してある場所が、実は益子のパワースポットでもある。アート巡りは、ある意味で益子の紹介したい魅力的な場所巡りでもあるような仕掛けです。
 準備期間もあるので毎年というのは無理ですから、3年に1度のペースでいろいろやっています。第1回目は予算の関係もあったのですがスタートは商店街でした。古いけれど味のある建物がたくさん集積していて、ぜひみなさんに紹介しようということで会場作りをしました。益子のカフェ、スターネット主宰の馬場浩史さん(故人)に1回目、2回目とプロデュースしていただきましたが、日下田さんの所は会場として是非紹介させていただきたいということで2回目から城内地区の会場にさせていただきました。

日下田  東京で活動している「灯(あかり)」のアーティストが私たちの古い仕事場を使いましたが、これは大変多くの方に見ていただきましたね。

町長  「土祭」の目的の1つに「益子の文化の醸成」というものがありますが、全部益子の人でできるもののほか、町外で、各分野の第一線で活躍されている方と一緒に企画をすることによって益子の文化レベルも上がっていくと考えています。演奏会もそうですが、益子の人たちだけでやる演奏会には町民は「ほのぼのとしていていいね」となるかも知れませんが、外部のお客様にも来てもらいたい。一つの成功事例が益子の場合和太鼓なのですが、佐渡・鬼太鼓座の創設者の一人、林英哲さんという和太鼓の第一人者で世界的に有名な方が、益子の和太鼓の人たちを指導していました。この方と一緒に舞台をやることによって自ずとアマチュアだけれどレベルが上がっていく。馬場さんはそういう仕掛けをオール益子でやるよりもプロを入れながら益子の人も絡んで、みんなで文化というものをレベルアップしていこうというようなことで各分野のプロデュースをしていただきました。
 それからもう一つの「土祭」の目的である「地域の再生」という点では、例えば大羽地区では、土祭をきっかけに50年ぶりに御神輿を復活させたり、とっても眺めのいい所の遊歩道の整備をしています。
 城内地区は、今日から真岡工業高校建設科の生徒たちが竹の茶室を作ります。茶室で益子の茶碗を使ってということです。茶室の勉強などなかなかやる機会がないでしょうし、しかも外部からのお客様を迎えるということで、学校の勉強とは違います。竹の切り出しからみんなやっていたようです。

■益子の風景と益子木綿

町長  実は今回土祭のルートを全部廻っていただくと、例えば「風景遠足」という企画では、「あっ、こんなところもあるんだ」というような場所を通っていただくことになります。円通寺池にもアートを展示します。池の周りに地元の人たちが整備している公園があるのですが、そこの途中は益子の伝統工芸士の方が窯を構えている。私たちにとっては当り前ですが、都会から来られる方はレンガが積んであったり薪が積んであったりの益子ならではの風景を見ていただき、背景には必ず山があったり田んぼがあったり畑があったり、アートの展示と一緒に益子らしい景観や風景も楽しんでもらえる仕掛けになっています。

日下田  私がお勧めしているのは濱田庄司記念益子参考館です。内容が非常に充実した美術館なので是非そこはとお勧めしますね。

町長  日下田さんの家は県の文化財指定ですが、あのようないい甕があるのは全国的にも珍しいですね。

日下田  専門家が調べましたら寛政時代のもので、今年で210年。昔は田舎の紺屋でどこにでもあったのです。ただそれを改修も補修の跡が全く見えないというのが珍しいらしいですね。そっくりそのまま使い続けています。
 甕の中の藍は、大体3、4カ月でほとんど染まらなくなります。200リットルから300リットルの液を全部捨てて一から藍を建てる作業に入ります。「藍建て」といいますがその繰り返しです。時間とお金のかかる染めですから今の時代同業者が少なくなってしまった仕事です。ヨーロッパなどでは今でも「ジャパンブルー」という言葉が通用しますから無くしてしまうのはもったいない。50年、100年後にもう一度といっても無理な話なので、細々とでも繋いでいきたいと思っていますが難しい問題が多いです。
 栃木県では昔は恐らく数百軒同業者があったと思いますが、染色作家として藍を使っている方は何人かいますが、紺屋という形態では二軒だけになりましたね。日本全国でも大変少なくなっています。私たちが使う染料を作る人を藍師と言います。畑で農家の人が蓼藍を作りますけど、それを染料、藍玉、蒅(すくも)にする人を藍師というのですが、今は日本で5人しかいません。四国徳島県の阿波藍というのを作っているだけなのでその人達が辞めてしまうと、自分たちで藍玉を作る時代が来ないとも限らないです。
 染物に限らず日本の伝統工芸品はどうやって引き継いでいこうかという問題に直面していますが、だからこそ手仕事の背景にあるものをしっかりと伝えていくことも私たちがやっていかないといけない。作業のいろんな手順を踏んでくると、大量生産の既製品とは確かに違うわけです。でもお客様はできあがってきたものでしか見ないですから、なかなかわかりませんね。
 今、ファストファッション、ファストフードみたいなところで日本はずっと走ってきましたが、これからのいろいろな地球環境も含めてですが、自然と共生して人がどう生きていくかを考えた時には、もうちょっといいモノを長く使うような文化を大事にして、益子は東京の文化とはちょっと違う手仕事の町だからこそ発信していかなければと思います。

町長  今日は大変素晴らしい藍染の織り物をいただきました。テーブルの上にありますが、後に隣の会議室に飾ってみたいと思います。ありがとうございました。この卓布が益子木綿ですね。

日下田  私たちの世界では真岡木綿は大変なビッグネームでして、日本一の品質を江戸時代では誇り、大量に生産されて江戸の人たちは真岡の布が一番欲しがっていたということが伝わっています。ただ益子木綿はゼロからの出発なのです。じゃあどこから始めるかというと畑に種を蒔くところからです。そこをくずさないでやって行こうと思います。
 今年は例年になく暑くて、畑に行くのも非常に困りました。でも綿というのはインドやアフリカが原産なものですから日本の気候ですと暑ければ暑いほどいい。ですから今年の出来は非常にいいです。現実には日本が使っている綿は100%外国から輸入されています。品質的には紡績の世界では外国のものがいいというのですが、日本の気候風土が作った日本綿、和綿には毛足は短いですけどコシが強いという特徴があります。だから布地が外国の綿とはまた違った味が出ますね。益子木綿を少しでも皆さんに知ってもらえればと思います。

町長  土祭では、そういった日下田さんの所の会場を含めて、歴史的な文化財や益子のアート、さまざまな生活文化、益子の地元食材の食文化など、文化全般をいろいろ楽しんでいただけるのではないかなと思います。さらに益子町のために一層頑張りたいと思います。

日下田  本日はお忙しい中を対談の時間をいただきましてありがとうございました。

益子木綿を大塚町長に手渡す日下田さん

益子木綿を大塚町長に手渡す日下田さん


構成:ビオス編集室(2015年8月収録)

*益子町 大塚朋之町長プロフィール
昭和40年
5月10日生まれ
昭和59年
真岡高等学校卒業
平成元年
明治大学政治経済学部政治学科卒業
平成18年
益子町長就任
*「日下田藍染工房」(ひげたあいぞめこうぼう)
住  所
:芳賀郡益子町城内坂1
電  話
:0285-72-3162
営業時間
:8:30〜17:00
定 休 日
:月曜日
駐 車 場
:2台(ほか、近くに町営の駐車場があります)
*益子町観光協会

http://www.mashiko-kankou.org/

*土祭

http://hijisai.jp


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対 談「那須の国」を語る

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