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精神科医のニア・ミス

「精神科医のニア・ミス」第五十七回

ゆう活

〜残業・長時間労働を減らしたい〜

角館のお祭り3日間 初日の安全祈願

角館のお祭り3日間 初日の安全祈願

賑やかに運行開始

賑やかに運行開始

他丁内と通行優先権を巡って交渉

他丁内と通行優先権を巡って交渉

 政府の肝いりでこの7月と8月、朝方勤務で定時帰宅を促す「ゆう活」が実施された。秋田県職員の実施率は14%だったが、ある若い県職員は、「僕は3日でやめました。退庁が毎日8時だったので5時に帰ってもやることがないし、夜型生活が身に染みついて早起きがつらい」と言うのであった。
 飲み仲間の某市教育長は、「ゆう活の大号令を発したが、相談や報告の電話が市内10校から殺到するのは午後6時過ぎで、何ともならなかった」という。生徒の親たちの帰りが残業などで遅く、対応する教師に早く帰れと言っても困難らしい。
 かように、日本では企業だけでなく公務員にも長時間労働の「ブラック企業」体質が蔓延している。近所のコンビニ経営者は、「うちはブラックどころか漆黒です。深夜帯のバイトは敬遠されるから私と妻がやるしかない。忙しすぎて毎日夫婦げんか」とぼやく。
 若いころ3か月ほど滞在したパリでは、夕方4時過ぎ、家路を急ぐでもなさそうな紳士がひょいとパテスリーに立ち寄ってケーキをほお張り、ハンケチで口をぬぐってまた歩きだす光景を何度も目にした。帰宅すれば家族と公園の散歩やスポーツを楽しみ、それから夕食といった生活で、日本のように帰って風呂、晩酌とは大違い。仕事の繁忙期は早朝出勤し、退社時刻は変えないと聞いた。
 「夕刻のゆとり」が、欧米では大人が指導するスポーツ少年団の誕生につながった。だがわが国では残業後の指導者にあわせ夜8〜9時まで少年たちは練習し、欧米からやってきたALTたちは「クレージー!」と目を丸くする。
 ある銀行支店長は、異動先の行員らが連夜8時まで残業しているのに驚き、観察した。そして1週間後、「疲れた後の残業は能率が悪い。光熱費も無駄だ。来週から定時退社厳守」と命じた。そしたら日中ぼんやりの「5時から男」たちが豹変したという。国の指導を受け近所の大手企業も週2日のゆう活を始めた。国民の3人に1人が交代勤務の日本。残業や夜の仕事を減らせば労働力不足や健康問題が改善し、「クレージー!」返上ができそうに思う。

追記 角館のお祭りが9月7〜9日に行われ、今年も連日連夜、駆け付けた。2日目の深夜、私たちとは別の2つの丁内が曳山運行の交渉でもつれ、いくつもの不幸な原因が重なって死亡事故が発生した。3日目は曳山の運行範囲が自粛され、異様な雰囲気のうちにお祭りは幕を閉じた。関係者たちは来年以降の祭りの在り方に頭を悩ませている。


尾根白弾峰
尾根白弾峰(佐々木 康雄)
  • 旧・大内町出身 本荘高校卒
  • 1980年 自治医大卒
  • 秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務
平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)
平成16年〜20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長


プロフィール

 1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。
 ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。
 80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。
 81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。
 93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。
 地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。
 主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。
 医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。


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