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精神科医のニア・ミス

「精神科医のニア・ミス」第五十八回

ユネスコの遺産登録 〜大切なものは目録だけに〜

白神山地

白神山地

祈る

祈る

イラスト作者(白神にて)

イラスト作者(白神にて)

 ユネスコが何でもかでも遺産にし―。こんな川柳がはやるご時世だが、わが日本だけでも白神山地、平泉などが世界遺産として多数が登録されている。最初は誰もが納得できる自然景観が対象かと思っていたら、各国の複雑な思惑も絡み、文化遺産、記憶遺産など何でもありありになってきた。そのうち地上の観光地はすべて何かの遺産に登録され、遺産でない場所や物件を探すのが難しくなるかもしれない。
 遺産と言えば、金銭や不動産などがたっぷりあって、遺族が相争うケースが思い浮かぶ。むろん逆もあって、あまり嬉しくない借金の場合は、遺族など関係者の人間性が問われる「負の遺産」ということになる。ユネスコの「負の遺産」に登録された「広島原爆ドーム」など誰が相続すべきか?
 私が学生時代たいへんお世話になったある書店の社長は株投資に失敗し数億円の借金を残して亡くなった。業績はよかった店舗も自宅も存続が危うい。そこで卒業生有志30名は故人の恩に報いようと寄金を集め、弁護士と金融のプロらに依頼しファンド会社を創設した。そして、「ファンドが保証するから会社経営を続けさせてくれ」と取引先や銀行に働きかけ、住居と書店を奇跡的に守ることができ、間もなく10年目を迎え借金返済のめどが立ってきた。ファンド仲間には絆が生まれ、結果的に負の遺産がプラスの遺産に…と言えばかっこいいが、ともかくユネスコに登録したいような美談である。
 ところで、ラグビーW杯で南アフリカを破った日本だが、快挙を激賞する欧米の報道は上から目線である。「世界遺産に登録してやる」といったユネスコの胡散臭さにも通じ、登録を目指す国々の自薦・他薦もどこか卑しい。欧州が頭を抱える難民問題だって、元々アフリカや中東を引っ掻き回してきた彼らの立派な「負の遺産」で、彼らが相続すべきであろう。
 元ラグビー選手だった不眠症患者のある教授は、「ペナルティキックをあの距離と角度から軽々と決める五郎丸は、従来の日本ラグビーとは全然ちがう、日本の財産だ」とおっしゃった。祈りに似たあの独特のスタイルが財産ならば、世界遺産登録に血道をあげて観光客受けねらうより、大切なものは財産目録くらいに整理しておく方が、よほど爽やかではあるまいか。


男鹿半島の晩秋

男鹿半島の晩秋

秋田県立小泉潟公園「水心苑」

秋田県立小泉潟公園「水心苑」


尾根白弾峰
尾根白弾峰(佐々木 康雄)
  • 旧・大内町出身 本荘高校卒
  • 1980年 自治医大卒
  • 秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務
平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)
平成16年〜20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長


プロフィール

 1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。
 ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。
 80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。
 81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。
 93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。
 地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。
 主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。
 医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。


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