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ナイジェリアの太陽

「ナイジェリアの太陽」No.7

体力勝負の暑いクリスマス

小さなクリスマスツリー

小さなクリスマスツリー

ダンスをする筆者と夫Henri(アンリ)

ダンスをする筆者と夫Henri(アンリ)

クリスマスパーティー

クリスマスパーティー

クリスマスパーティー

カノのホテルの庭でくつろぐ

カノのホテルの庭でくつろぐ

カノのホテル。大きなサボテンの木のある庭で

カノのホテル。大きなサボテンの木のある庭で

 ナイジェリア・ゴルワゾに滞在して約1年。ここは1年中暑いので四季のはっきりした日本生まれの私は、季節の感覚がすっかり薄れてしまった。パリから持参したカレンダーを見て判断するしかない。
 私たちフランス人居住区の一番のお祝いのクリスマスも暑い太陽の下で祝うことになる。フランス人にとってほとんど何の娯楽もないゴルワゾの居住区では、時々大きなホールに集まって、みんなでダンスと飲食のパーティーが楽しみなイベントである。特別にクリスマスは材料不足のなかで、日本のおせち料理のごとく色々な種類の肉をふんだんに使って豪華なご馳走を揃える。
 月に1度、夫と車で約50km先の大都市カノに行き、現地の富裕層や外国人専用のスーパーで食料の買い出しをする。南米のワインやイギリスのウィスキー、チーズなどは買うことができるが、フランス産の食品はあまりない。家には大型の冷蔵庫とアイスボックス型の冷凍庫があり、ぎっちりと肉の保存も可能なので、食文化豊かなフランス人の肉食人種系の夫のためにも安心であった。
 クリスマス用のアルコールはあらゆる種類が豊富にあった。私は戸外で緑の葉っぱを付けた小枝を捜し、家のサロンのテーブルにツリーの代わりにして置いた。コットンを散らしたり赤い布切れを付けたりして雰囲気を出した。
 クリスマス・パーティーが夕方始まり「飲んで食って踊って」を一晩中続ける。まるでボッシュ(*1)の絵の様な感じだ。私は覚えたばかりのダンスを何とかやれる程度なので食べて見ている方がよいのだが、男性が丁寧に手を差しのべると断るのは失礼なので踊るようにしていた。
 夜中の12時を過ぎた頃、夫に「もう、疲れたから家に帰ろう」と促すと、「だめだめ、まだ早すぎる、今私たちが帰ると、このパーティーはつまらないというメッセージになる」という。「えっ、フランス人はそんな風に思うの!」と、約40年前の30歳代の日本人女性(私)はびっくりしたものである。
 私たちが何メートルか先の敷地内の家に帰ったのは、夜中をとうに過ぎた3時頃だったが、それでも一番早く引き上げた組である。その2時間後の朝方5時頃、みんなが歌いながら私達の家に押しかけて起こしにきたのだった。

◇◇◇

 フランスのクリスマスや特に結婚式には、2日間にわたって飲食&ダンスをしたという友人もいた。大きな年間行事のパーティーでは老若男女寝ないで「飲んで食って踊って」楽しむ。日本の祭事などでも無礼講で普段の生活から解放されて自由になって何日も楽しんだということと同じである。
 アフリカでの初めてのクリスマス以来、私はどうしたらあのように頑丈な身体ができるのだろうと考え、今思えばバカバカしいことだが、同じ物を同じ量だけ食べる事にして身体の改造を行なった。何の意味もない付焼刃で無理な事だが、とにかく彼たちの体力、気力に少しでも近づきたいと、日々絵筆をとる傍ら運動も欠かさなかった。
 フランスは大陸続きで昔から数多くの戦禍に見舞われ、多くの命が絶やされた。存在している人たちは、さまざまな要因で生き残ることができた。単に「飲み食い運動」でフランス人の体力を知ったのではなく、命がけの体力勝負と思われる危機一髪の危険な事もここでは経験した(後ほど書きます)。
 時々は気晴らしに車でカノにある外国人専用のホテルのレストランで食事をしに行った。私はこのレストランの代表的なアフリカ料理を覚えた。ホテルまでの道は大きな穴があちこち空いているので、穴を避けながら運転して時間をかけてやっとたどり着く。
 かつてイギリスの植民地だったので、日本と同様に左側通行。しかし少ない対向車だが右左関係なく吹っ飛ばして来るので、ヒヤヒヤしながら私たちの車から脇によけた。両側はサバンナが広がり、脇道もなく信号もないまっすぐな1本しかない道なのに、事故車が幾つか脇にそのままになっているのをよく見た。ここでは現地の富裕層がお金で運転免許を買うので、運転技術の問題と車自体がすでにオンボロということも考えられる。
 外出してのレストランの食事は、暑いナイジェリアでちょっとした楽しみとストレス解消にも役立っていた。

(つづく)

(*1)ヒエロニムス・ボッシュ:1450-1516年 オランダの画家 代表作「快楽の園」、プラド美術館「放蕩息子」など。


TOMOKO K.OBER
TOMOKO KAZAMA OBER(トモコ カザマ オベール)

1975年に渡仏しパリに在住。76年、Henri・OBER氏と結婚、フランス国籍を取得。以降、フランスを中心にヨーロッパで創作活動を展開する。その間、78年〜82年の5年間、夫の仕事の関係でナイジェリアに在住、大自然とアフリカ民族の文化のなかで独自の創作活動を行う。82年以降のパリ在住後もヨーロッパ、アメリカ、日本の各都市で作品を発表。現在、ミレー友好協会パリ本部事務局長。


■主な受賞

93年、第14回Salon des Amis de Grez【現代絵画賞】受賞。94年、Les Amis de J.F .Millet au Carrousel du Louvre【フォンテンヌブロー市長賞】受賞。2000年、フランス・ジュンヌビリエ市2000年特別芸術展<現代芸術賞>受賞。日仏ミレー友好協会日本支部展(日本)招待作家として大阪市立美術館・富山市立美術館・名古屋市立美術館における展示会にて<最優秀審査賞>受賞。09年、モルドヴァ共和国ヴィエンナーレ・インターナショナル・オブ・モルドヴァにて<グランプリ(大賞)>受賞、共和国から受賞式典・晩餐会に招待される。作品は国立美術館に収蔵された。15年、NAC(在仏日本人会アーティストクラブ)主催展示会にて<パリ日本文化会館・館長賞>受賞。他。



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