ピックアップインドネシアの海精神科医のニア・ミスとっておきの一冊伝統と文化−下野手仕事会−栃木のステキ美術館だより地域レポート遥かなる戦争と遠ざかる昭和おもしろ日本美術3アユルものがたり―那須のくにのおはなし―
  • トップページ
  • 編集、制作
  • 出版
  • 企画
  • ビオスインタビュー
  • 巴里通信
  • 出版物一覧
  • お客様の声
  • 会社概要
pre_bios
精神科医のニア・ミス

「精神科医のニア・ミス」第六十回

セカンドオピニオン 〜人生観を見つめ直す〜

12月30日、田沢湖スキー場オープン!

12月30日、田沢湖スキー場オープン!

熱狂的ボードファン激増 スキーは少数派に

熱狂的ボードファン激増 スキーは少数派に

この爽快感 スキー場に来ない人の気がしれない

この爽快感 スキー場に来ない人の気がしれない

スキー場から田沢湖を望む

スキー場から田沢湖を望む

 2か月ほど前、私の所属するテニス俱楽部の社長が一方通行の道路を逆走し、電柱に正面衝突して救急搬送された。一瞬、気を失ったという。幸いケガはなかったが、問題は失神の原因である。テニス仲間でもある搬送先の脳外科医は脳腫瘍を疑い、大学病院に紹介した。大学ではあれこれ検査し、種々の根拠から脳の手術を社長に勧めた。
 ちょっと待った、と口を挟んだのは、やはりテニス仲間の放射線科専門医である。彼はこの大学に勤務歴はない。強心臓の彼は大学の医師団へ執拗に説明を求め、その結果、「手術はすべきでない」と社長に進言した。
 早稲田大時代は名門テニス部の主将を務め、幼いころからバイオリストでもある社長の方は、「テニスとバイオリンができなくなるような治療なら断る。生きている意味がない」と私と別のテニス仲間の医師に語った。川島なお美さんも「女優でありたい」と明言し自分の意志で治療法を選択した。もっともな話である。事態は膠着状態になりかけた。
 そこで社長は、「がんと闘うな」で有名なK医師のセカンドオピニオンを仰ぐべく上京した。秋田に戻った社長によると、「手術を避けたのは正解。抗がん剤は効かない。放射線治療も高線量では逆効果」などのアドバイスを受けたという。テニス、バイオリン、70才という年齢などを考えて、社長も腹をくくったようである。
 3年前、私の医院に男性が相談に訪れた。近くの病院で母親が胃がんの手術を勧められたが、こんな田舎の病院で大丈夫だろうかというのである。彼が住む東京の某癌研にセカンドオピニオン受診を勧めた。病院から資料を受け取って東京に戻った彼は、数日後再び現れ、「納得できた。母親には秋田で治療を受けてもらう」とすっきりした表情だった。
 社長は、「K先生の診察は30分で3万円。一日10人、月20日なら月600万円。金は何に使うのかなあ」と人様の懐に興味を示す余裕だが、自分の気持ちの整理のための3万円だった。患者自身の人生観、あるいは家族の価値観を見つめ直すお手伝いが、セカンドオピニオンの存在理由かもしれない。


尾根白弾峰
尾根白弾峰(佐々木 康雄)
  • 旧・大内町出身 本荘高校卒
  • 1980年 自治医大卒
  • 秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務
平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)
平成16年〜20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長


プロフィール

 1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。
 ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。
 80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。
 81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。
 93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。
 地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。
 主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。
 医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。


バックナンバー

ページのトップに戻る