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精神科医のニア・ミス

「精神科医のニア・ミス」第六十一回

春画新年!マダム・オベール 〜たまと日本の花〜

日本の花

日本の花

石川豊信(1711-1785)

石川豊信(1711-1785)

喜多川歌麿(1753-1806)

喜多川歌麿(1753-1806)

ネパールの花

ネパールの花

 美しく知的な女性だったと言われる明智光秀の娘たまは、細川家2代目当主忠興に嫁いだ。忠興は妻に情愛を注ぐあまり「奥から1歩も出てはならぬ」と厳命し、他の男の目に触れることを極度に恐れた。夜の生活の方も尋常ではなく、たまは眠らせてもらえなかったと司馬遼太郎は「胡桃に花」に書いている。
 やがてたまは高山右近やお付き女中の影響で切支丹(きりしたん)に傾斜。せっせと聖書やラテン語辞書類を与えご機嫌伺いする忠興を無視して受洗する。そして「デウスを唯一の主として仕える」細川ガラシャ夫人ということになり、「散りぬべきとき知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」などと詠み、夫を激怒させた。が、後の祭り。
 昨年10月、72才のテニス仲間からメールが届いた。「いま東京。同窓会と春画展、どちらがメインか。日本初の春画展、大英博物館の協力で…目白の『永青文庫』は早朝から長蛇の列…ここの理事長は細川護熙元首相」と結んでいた。細川さん?
 文芸春秋11月号に「なぜいま春画ブームなのか」と題する細川元首相らの対談が載った。2013年に大英博物館を賑わした春画展を日本で開催しようとしたが、ワイセツ画扱いの長い歴史もあり、尻込みする美術館が続出、「義侠心から」細川さんの永青文庫が決断したという。
 浮世絵はヨーロッパで「再発見」された。自分は浮世絵の影響は受けていないと否定したピカソも春画を大量に秘蔵していた。古事記の天の岩戸から性の表現は縁起物として広く日本の民衆に浸透していたが、笑い絵と呼ばれるくらい明るくユーモラスな春画も、江戸中期に禁書扱いとなって現在に至る。関白秀吉は、配下の妻は自分のモノと考えていたそうで、朝鮮に出兵させられていた細川さんのご先祖忠興は、不在中に妻がやられるのではないかとひどく恐れた。彼自身、「馬鹿夫婦、春画を真似て手をくじき」だったようだが、元首相の永青文庫で開催というのも何か因縁めいている。
 FLEURS DU JAPON(日本の花1969年パリ)という画集が目の前にある。春画110頁。「運よく税関を通れば」と約40年前パリで画家のマダム・オベールに持たされた。「ネパールの花」という画集もあって、こちらはヒンズー教寺院の妖しい彫刻122頁。春画ブームと聞いてガラクタの山をかき分け2冊を「再発見」した。眺めているうちに道元禅師の「花は哀惜に散る」を連想し、また一つ馬齢を重ね…笑う門には福来る…本年も宜しく、マダム!


尾根白弾峰
尾根白弾峰(佐々木 康雄)
  • 旧・大内町出身 本荘高校卒
  • 1980年 自治医大卒
  • 秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務
平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)
平成16年〜20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長


プロフィール

 1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。
 ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。
 80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。
 81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。
 93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。
 地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。
 主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。
 医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。


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