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精神科医のニア・ミス

「精神科医のニア・ミス」第六十二回

カルメン〜自由のために命をかけて去る者〜

カルメンポスター

カルメンポスター

カルメン主演者

カルメン主演者

 2月下旬、秋田市アトリオン音楽ホールで山田和樹指揮の仙台フィル、藤原歌劇団、地元合唱団による演奏会形式オペラ「カルメン」が上演された。「組曲カルメン」はポピュラーで、私も高校時代に吹奏楽部で「闘牛の歌」を演奏した記憶がある。
 舞台は1820年代のスペイン。ジプシー女のカルメンはセビリアの煙草工場で女工をしている。ジプシーは差別用語だとして最近は「ロマ」というそうだが、ともかく流浪の民である。煙草工場で働いている今は定住しているのか。いずれ物語では山賊の一味に合流するので矛盾はない。
 40年ほど前、パリでジプシーの子供たちの一団をよく見かけた。画家のトモコに、「あの子たちはスリだから気をつけなさい」といわれていたが、手口はこうだ。先頭の子が両腕に新聞紙を拡げ何か語りながらカモに近づく。耳を傾けているうちに新聞の下で他の子供たちが素早く手先を操り、気がつくとカモのポケットから財布が消えている…。
 私もこの子らに取り囲まれたことがあったが、その手は桑名の焼き蛤。彼らとは至る所で遭遇した。テキはカモ探し、私の方は暇人の徘徊である。いつも集団の先頭を歩く女の子は翠なす黒髪に大きな目、彫の深い顔立ちで、誠にカルメンの末裔ともいうべき別嬪さん。そのうち目が合うとニッコリ笑みを返してくれるようになった。自分たちとおなじ流浪の民と思ったのかもしれない。
 終幕でドン・ホセに復縁を執拗に迫られるカルメンは、「私は自由の生まれ。束縛はいや」と断固拒絶する。もし彼女が男をダメにする本物の悪女なら、純情なホセを適当にあしらっていたかもしれない。そうしなかったのは、ホセを慕い、故郷から母親の言伝を持ってきた若い娘ミカエラに彼を譲ろうとする悪女の深情けだったか。
 どうしても俺を捨てるならと彼女を刃にかけたホセ(テノール村上敏明)は「ジュテーム・カルメン!」と悲痛な裏声まじりで絶唱する。ジプシーの真逆と言っていい秋田土着の少年少女合唱団も凄かった。この子らもカルメンのように秋田を去り、年寄りは「ジュテーム・若人!」と謳うばかりか。
 PS 2月27、28日、秋田県田沢湖「たざわスキー場」でW杯フリースタイル(モーグル)大会が行われた。この「鳥人」たちもツアーと称してジプシーまがいに世界中を放浪(転戦)しているのだが、とにかく、見ていて危ないというか、大胆な演技にはあいた口がふさがらなかった。


モーグルコース

モーグルコース

2016FISフリースタイルW杯たざわ大会

2016FISフリースタイルW杯たざわ大会

跳ぶ(デュアル競技決勝)

跳ぶ(デュアル競技決勝)

解説する上村愛子(撮影許可済み)

解説する上村愛子(撮影許可済み)


尾根白弾峰
尾根白弾峰(佐々木 康雄)
  • 旧・大内町出身 本荘高校卒
  • 1980年 自治医大卒
  • 秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務
平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)
平成16年〜20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長


プロフィール

 1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。
 ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。
 80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。
 81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。
 93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。
 地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。
 主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。
 医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。


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