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精神科医のニア・ミス

「精神科医のニア・ミス」第六十四回

韃靼(だったん)蕎麦 〜味覚の話〜

韃靼蕎麦と蕎麦名人

韃靼蕎麦と蕎麦名人

恩師の吟味

恩師の吟味

大潟村の菜の花ロード(2016.4.27)

大潟村の菜の花ロード(2016.4.27)

付録。著者

付録。著者

 「韃靼蕎麦を食わせる」と言われ秋田からのこのこ栃木へ出かけた。首謀者は20年前に蕎麦打ちを始めた大学同期。4人の子は「見るのも嫌」と反発しながら蕎麦を食わされて育った。勤務医時代は病院職員120名にも年2回食わせていたという。
 当日。10名の客の前に黄色っぽい韃靼蕎麦が現れた。一口すすったら苦い。他の客も困惑気味だ。私は熱いものが苦手な猫舌だが、手伝っていた猫舌派のわが娘も「超にがい!」と叫ぶ。ところが蕎麦打ち名人は「僕はその苦味が分からない。苦い薬も苦くない」というので一同驚いた。私と娘は酸味にも敏感で、すえた豆腐や牛乳はすぐ見抜く。名人は酸味は普通という。誰かが「腐りかけの食べ物は微妙な酸味で分かる。苦味は人類が身を守るのに重要じゃないのかな」と首をかしげた。
 それで思い出したことがある。パリを放浪していた若い頃、カルチェラタンの学生食堂に時々侵入して安定食にありついていた。ある日アラブ料理を出す学食に入ったらアフリカや中東の若者がバケットに真っ赤な唐辛子を塗りたくって美味しそうに食べている。さっそく真似した。目から火。10倍カレーどころの騒ぎではない。水を口に含み二口三口と試したが辛さはいや増す。あれをうまいと感じるには修行が必要だと後で聞いた。
 韃靼蕎麦はモンゴルや中国高地が原産で、今回のは北海道産。通称「苦(にが)蕎麦」と呼ばれ、ポリフェノールの一種ルチンが一般の蕎麦の100倍という。成人病予防の健康食品として人気らしいが、蕎麦好きの老恩師は「あまりうまいもんじゃないな」と我々を安心させた。それを見越していた名人は「お口直しに」と二八蕎麦、田舎風五五蕎麦も出してくれた。これはうまい!
 彼は言う。「蕎麦嫌いだった子たちも大きくなって外食を覚えたら、つい蕎麦屋に入ってしまうのです。最近は親父よりうまい蕎麦はめったにないと言うようになりました。三つ子の魂か、門前の小僧か。私も人生のほろ苦さは感じますがね…」
 書店の社長が「お医者さん方を前に何ですが、焼けた神田藪蕎麦も再開しました。行きましょう」と言う。「そうだな」と恩師は頷き、「諸君もヤブだ土手だと気にする齢でもあるまい」と頬を緩ませた。教え子たちは苦笑いするしかなかった。

(註・藪医は向こうが透けて少し見える。土手医は全く見えない)


尾根白弾峰
尾根白弾峰(佐々木 康雄)
  • 旧・大内町出身 本荘高校卒
  • 1980年 自治医大卒
  • 秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務
平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)
平成16年〜20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長


プロフィール

 1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。
 ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。
 80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。
 81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。
 93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。
 地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。
 主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。
 医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。


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