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精神科医のニア・ミス

「精神科医のニア・ミス」第六十六回

気球に乗って 〜風を感じない高みから己を見る〜

自治医科大学グランドにて

自治医科大学グランドにて

男鹿市北浦のアジサイ寺「雲昌寺」

男鹿市北浦のアジサイ寺「雲昌寺」

テニス山田杯2016(秋田日赤、秋田中通病院、男鹿潟上南秋医師会の三つ巴戦)

テニス山田杯2016(秋田日赤、秋田中通病院、男鹿潟上南秋医師会の三つ巴戦)

 5月連休の3日間、秋田県横手市平鹿町で「秋田スカイフェスタ2016」が開催された。あいにく今年は行けなかったが、ガスバーナーで空気を熱し、ふわりと空に浮かぶこの熱気球には思い出がある。
 20年ほど前、栃木のある書店の社長が率いる「ハイデオス・バルーンクラブ」に誘われ、かつて足尾銅山の鉱毒で揺れた赤間遊水地へ出かけた。プロパンガスのボンベ4、5本を乗せて乗用車に後続するトラックは、風まかせで飛ぶ気球を追いかけこれを回収せねばならぬ。あいにくの天候で熱気球は離陸できなかったが、大変な道楽である。だが、と社長は言った。
 「バルーンに出会うまで、海がない栃木にコンプレックスを持っていた。それが、気球に乗って空から眺めてやっと気が付いたよ。わが郷土には緑の大海原があるんだ」
 後日、ロープで係留された気球に乗った。社長のいう通りだった。緑なす関東平野はまるで海のように広く、草木はさざ波のように風にそよいでいる。これが栃木の海か…。
 海のごと野は緑なり五月晴れ−秋田の俳人、石井露月の句である。露月は明治3年、NHK大河ドラマ『真田丸』の幸村(信繁)の娘(お田の方)が嫁いできた亀田(岩城)藩の女女木に生まれた。正岡子規と深い交流のあった医師にして俳人。国際教養大学に勤務するロシア人女性が、「素晴らしい作品が多いのに秋田の人はほとんど露月を知らない」とぼやいていた。教養大のロシア人学者たちは俳句にご執心なのである。
 私の祖父と父はアララギ派の末席を汚していたようだが、母の生家は露月の家に近く、令名は幼いころから耳にしていた。海のごと…は露月が医療と青年教育に勤しんだ集落の小高い丘から秋田平野を詠んだ作品である。秋田には本物の海も緑なす大海原もあった。
 「何か悩みがあったら近くの高台に行って、自分の住む街を眺め下す。ああ、自分はあの辺で思い悩んでいるのだなあと、自分自身と距離が取れるよ」と患者にいう。地を這うような生活を続けていると、人生、逆風ばかりと思いがちになるが、風まかせの気球に乗っていると風を感じない。私も疲れがたまると、最近やたら熊が出る近所の小山に登る。東に出羽丘陵、西に日本海。自分の限界などクソくらえという気になる。


尾根白弾峰
尾根白弾峰(佐々木 康雄)
  • 旧・大内町出身 本荘高校卒
  • 1980年 自治医大卒
  • 秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務
平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)
平成16年〜20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長


プロフィール

 1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。
 ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。
 80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。
 81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。
 93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。
 地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。
 主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。
 医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。


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