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精神科医のニア・ミス

「精神科医のニア・ミス」第六十八回

リオデジャネイロ五輪 〜吉田沙保里選手のこと〜

大曲では昼花火競技も行われる

大曲では昼花火競技も行われる

大曲花火

大曲花火

大曲花火

大曲花火

2007年10月、ハートインクリニックにて吉田選手と

2007年10月、ハートインクリニックにて吉田選手と

 競技場の工事が間に合わない、反対デモが続いている、とにかく物騒だと開幕まで悲観的な報道が多かったリオ五輪。だが、テレビで見た開会式は「何とかなる」のラテン気質の本領発揮で、各競技が始まるや、「人生、楽しまなければもったいない」とばかりに声援とブーイングと黄色いシャツの乱舞、ほんとにやかましい五輪であった。
 一方、神経質なわが国では東京五輪まで4年もあるのに、あと4年しかないと予算激増や聖火台のど忘れ騒動で、些かうつモードである。「人生の落とし穴、それを人は災難と呼ぶ」が、リオでは会場近くの教会にちゃっかり予備の聖火台を設置し、マラカナン競技場の聖火は回転する小さな構造物にきらきら輝き、締めはサンバによる圧巻のカーニバルだった。
 女性モデルが花道をエレガントに歩き続ける−。木を育て、アマゾンの密林を守り、質素に生きようとのメッセージ。とどめは経費。ロンドン五輪の12分の1、北京の20分の1。選手にとっては「金」が何よりだが、企画はお金より哲学だ。
 予想以上に活躍した日本チームだが、女子レスリングの吉田紗保里選手の敗北インタビューは見るに忍びなかった。「…日本選手団の主将として金メダル取らなきゃいけないところだったのに…取り返しのつかないことになってしまって…」銀でも、取り返しのつかない…そこまでいうか。
 彼女は2007年10月、秋田若すぎ国体エギゼビジョンマッチのため我が潟上市を訪れた。ところが40度の熱と喉の痛みで、あろうことか心療内科の当院を受診した。化膿性扁桃腺。抗生剤にステロイド追加を提案すると栄監督はドーピングにひっかかると首を横に振る。彼女は点滴に通い、喜んだのはうちに民泊していた埼玉栄高校レスリング部の男子選手たち。熱が引いた3日目、アテネ五輪の金メダリストは7、8歳年下の彼らと笑顔で写真に納まった。
 それから超人的な成績を積み上げてきた彼女がリオの表彰台で泣いている。1964年東京五輪マラソンで銅だった円谷幸吉選手が次のメキシコシ五輪を前に、謝罪と感謝の文を各方面へ遺して自死した。紗保里さん、変な気は起こすな…。
 陸上日本男子リレー・銀の快挙、おそらく世界中が安堵したブラジル男子サッカー・金色の涙。聖火は豪雨に消え、ドラえもんの土管からシューベルトの「アベマリア」とともに首相のアベマリオが…違った?


尾根白弾峰
尾根白弾峰(佐々木 康雄)
  • 旧・大内町出身 本荘高校卒
  • 1980年 自治医大卒
  • 秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務
平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)
平成16年〜20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長


プロフィール

 1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。
 ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。
 80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。
 81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。
 93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。
 地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。
 主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。
 医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。


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