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精神科医のニア・ミス

「精神科医のニア・ミス」第七十四回

一人旅 〜気楽でちょっぴりさびしい〜

横手の雪祭り

横手の雪祭り
娘のかなえの作品で、インスタグラムでMVPをゲットしたとか。

その裏から

その裏から

 ヒマつぶしに1人で五能線に乗って弘前まで行ってきた友人がいる。ワンカップを片手に荒れる冬の日本海を眺めながらいい旅だったという。鉄道マニアの彼は少年のころから一人旅を好み、たまに私を誘えというと「面白き人と一緒の旅は幸い。つまらぬ人となら修行」などといって毎度しぶる。
 学生時代、ある教授が事務部長と2人で海外視察旅行に出かけ、当時現役だったコンコルドでパリから南米に飛んだ。帰国直後に感想を伺うと開口一番、「あの男、人は好いが退屈だった。ノリが悪くて」と苦笑いされた。クスコの石組みは剃刀の刃一枚通さない。すごいねというと、そうですか、と万事この調子だったそうだ。
 日本人は概して団体旅行を好み、1人旅は苦手、というより経験のない人が多いといわれる。私はどちらかといえば友人と同じ一人旅派で、若いころは海外もほとんど単独だった。1人だと宿を決めておく必要がない。鉄道の旅なら行き当たりばったりの駅に降り、ホテルを探すが、満員ですとフロントで断られても、どんな部屋でもいいと粘ると1人だと都合してもらえる場合が多かった。
 フランスのトゥールという街では、やっと確保したホテルから夕方の散歩に出かけたら、濃紺の屋根と白い壁の街並みが薄いブルーに染まってあまりに美しく、ロワール川のほとりに立ちつくした。この感動を語り合える相棒のいないのがちょっと残念だったが、もう一度見たいと思い連泊した。計画もない一人旅なればこそだ。だが、翌日の夕暮れは前日ほどではなかった。当たり前の話で、気象条件が昨日とは違った。
 夫を2年前に亡くし、子供たちも独立して1人暮らしの患者さんが先日、生まれて初めて1人で一泊旅行をしてきた。「団体旅行しか経験がなかったので不安だったが、1人旅の気楽さを味わえた。ただ、翌朝、部屋の窓から息をのむような雪一面の景色を眺めていて、ふと新聞で見た『健やかな夫の寝息を聞きながら今の幸せ長きを願う』という一句を思い出して涙が止まらなかった」という。誰はばかることなく存分に泣けるのも1人旅ではあるまいか。
  • 秋田市千秋公園の与次郎稲荷神社

    秋田市千秋公園の与次郎稲荷神社
    千秋公園の与次郎稲荷の与次郎は、秋田と江戸を6日間で往復した飛脚。そのあまりの速さにほかの連中の嫉妬を買い、山形で殺されたそうな。秋田には与次郎駅伝がある。

  • 千秋公園から望む太平山

    千秋公園から望む太平山


写真撮影:佐々木かなえ

尾根白弾峰
尾根白弾峰(佐々木 康雄)
  • 旧・大内町出身 本荘高校卒
  • 1980年 自治医大卒
  • 秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務
平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)
平成16年〜20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長


プロフィール

 1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。
 ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。
 80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。
 81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。
 93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。
 地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。
 主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。
 医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。


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