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精神科医のニア・ミス

「精神科医のニア・ミス」第七十六回

デイサービスの老人たち 〜意外に面白い裏事情〜

大潟村「菜の花ロード」

大潟村「菜の花ロード」

秋田県立小泉潟公園

秋田県立小泉潟公園

コミットバンド(町内のおじさまたち)

コミットバンド(町内のおじさまたち)

角館の桜

角館の桜

 遅い秋田の桜が満開になるころ、当院から2軒隣のデイサービス(以下、デイ)に通うお年寄りたちが華やぐ。これが本当の“サービス”だと思うのだが、利用者たちを少人数のグループに分け、職員が交代で花見に連れて行くのである。
 1番人気は桜並木と沿道の菜の花が延々と続く大潟村の「菜の花ロード」。車で30分。田植で忙しい時期に列をなす花見客の車は農家の天敵だが、ピンクと黄色に彩られ、圧巻である。また、デイから車で15分の県立小泉潟公園も職員に付き添われた高齢者でにぎわう。
 デイでは大型スーパーにも連れて行く。朝、ばあさんに買い物リストを持たせてやれば自分たちの手間が省けるので嫁や娘にも好評だ。職員らの「主婦感覚」による企画と聞く。回転寿司の日もあって、これも少人数に別れて出かける。店員も慣れてきて対応がいいらしい。慰問も民謡、踊り、大正琴の演奏から、最近はベンチャーズのコピーバンドも登場する。
 デイは愉快、もっと早く来ればよかったという老人は多いが、こうした「デイサービス・ライフ」を最初からすんなり楽しめる人ばかりではない。当院へ通院する83才の女性は物忘れが進んで目が離せなくなり、デイを勧めた。嫌がって渋々出かけたら、「何十年ぶりかで気の合う女学校時代の友人に会った」と喜び、デイを心待ちにするようになった。「息子は忙しくて花見どころか買い物だって誘ってくれない。デイがいいわ」埼玉の重い槍氏の川柳いわく「認知症、特効薬は家族愛」…
 その点、男は情けない。女ほど社交的でもなく、ぼんやり天井を眺める姿がちらほら。ある社長は、「田舎者ばかり集まりやがって、くだらん」と職員らが誘う体操やゲームを拒否し、同じ新聞をひねもす読み返す。「食事は?」と問うと、「病院食は薬よりまずかったが、ここは悪くない。晩酌がありゃ言うことなし」とご機嫌である。病院も施設も調理法は格段に進歩した。「体を動かさないと足腰が弱ります」というと、「若い女でもいりゃね」と昔日の夢を捨てていない。この社長、若い女性の尻を触るので、「何かいい薬はありませんか」と私はいつも職員に泣きつかれる。ああはなりたくない。
  • 祭事広報Xふくじよん

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尾根白弾峰
尾根白弾峰(佐々木 康雄)
  • 旧・大内町出身 本荘高校卒
  • 1980年 自治医大卒
  • 秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務
平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)
平成16年〜20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長


プロフィール

 1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。
 ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。
 80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。
 81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。
 93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。
 地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。
 主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。
 医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。


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