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おもしろ日本美術

おもしろ日本美術2 第七回

ヨーロッパ諸侯お気に入りの鶉絵のテーブルウエア

色絵粟鶉文菊花形皿(貞享ごろか)

柿右衛門粟鶉文菊花形皿

 柿右衛門様式の元禄・享保頃までの上手の磁器については、そもそも、国内の伝世品に期待するには貧弱な状況にあった。僅かに鍋島藩主や徳川将軍家への献上品として国内にとどめ置かれたもの(二次的に下賜や贈答で所蔵変更も)、柿右衛門家とめ置き品はあっても、主力は海外輸出をメインとした生産体制であったからである。

柿右衛門粟鶉文八角鉢

柿右衛門 マイセン粟鶉文

柿右衛門
マイセン梅鶉文A

柿右衛門
チェルシー梅鶉文B

欧州伝世梅鶉文丸皿

昨今になってようやく、ヨーロッパからの里帰品が国内に溢れ、海外作品の情報も寄せられて、日本での研究も地に着いてきたと言える。イギリスでは、東洋陶磁学会が早くに設置され、1956年の「日本の磁器展」(ロイヤル・アカデミー)、また50年記念の大英博物館ギャラリーでの「宮廷を飾った陶磁器展」(1990年7〜11月)と、既に充実した研究の積み重ねがある。かつて古九谷と呼ばれていた磁器(寛永文化のバロック的要素の濃い工芸品)が内需用古伊万里として肥前有田の初期色絵の流れに組み込まれるべきもの、柿右衛門手に先立つべきものであると唱え(「日本の磁器」陶説40号、昭31)、古九谷有田説のきっかけを作ったのも大英博物館の学芸員ソーム・ジェニンス氏であった。
 日本製品との認識も、のちにオールド・ジャパンと通称される金襴手の伊万里に限ってのことであり、総じて東洋趣味の大くくりの把握での理解で、柿右衛門手などは日本ものとの意識は疎かったとも指摘されている。
 さて、上記の「宮廷を飾った陶磁器展」の図録(西田宏子ら監訳の日本語版が同朋舎出版から刊行されている)には、最末に特別に章立てして「鶉」文の柿右衛門磁器についてローレンス・スミス氏らが論述している。
 国内では、花鳥画の中でそれほど特化されることのない鶉図が、いかなる経緯でヨーロッパで複数の窯で繰り返し倣製される定番人気アイテムに成長したのか、なぜ鶉なのか、疑問は尽きない。鶉図の絵柄は、南宋の画院画家李安忠ばりの鶉図を得意とした土佐光起あたりの図柄に取材したと思われる「粟の太茎の下に寄り添うつがいの鶉」に出発し、粟が白い磁肌に生える朱の梅樹に置き換わりつがいも青と赤の羽根色に際立たされて、そこで定番化したと判断できよう。なお、バリエーションとして距離をもって向かい合う鶉のつがいの絵柄も散見する。まさしく、オランダ人商人と日本の陶工たちとの息の合った作業、東西美意識のキャッチボールなのかも知れない。
 さて、本品粟鶉の菊花形皿は、あるいは狩野派や土佐派の専門絵師や鍋島藩の御用絵師が下絵を提供したり実際に絵付けに携わったかとも思われるほどに、絵画としての完成度の高い上絵の優品であり、様式化・意匠化される前の初心さが心地よい。濁手の色合い、釉薬表面の荒れからして、貞享4年の梅鶉輪花皿よりもさらに若干遡るものとすべきであろうか。
 なお、梅鶉図の本歌は、山下朔郎氏が紹介されたの貞享4年箱の梅鶉輪花皿と信じるが、ヨーロッパ伝世品として、オックスフォード・アシュモリアン美術館の丸皿(ライトリンガー氏寄贈)が紹介されている。


上野 憲示
上野 憲示

1948年、大阪生まれ。

東京大学文学部美術史学科卒業。栃木県立美術館学芸員。東京大学、清泉女子大学などの非常勤講師(美術史学・博物館学担当)を経て、現在、文星芸術大学学長ならびに芸術理論専攻教授。

著書に『鳥獣人物戯画(日本絵巻大成六)』(中央公論社)、『渡辺崋山の写生帖』(グラフィック社)、『ハイビジョン鳥獣人物戯画』(ハイビジョンミュージアム推進協議会)、おもしろ日本美術1(文星芸術大学出版)など、美術史家、美術評論家として活躍。


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