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おもしろ日本美術

おもしろ日本美術2 第十五回

料理を取り尽くすと爽やかな薄青の尺五皿から牙をむいた虎が

染付花唐草虎文大皿(藍柿右衛門早期)

染付花唐草虎文大皿

染付花唐草虎文大皿

 そもそも、大皿のやきものは宴会の盛皿、飾皿として需要が高く、特に、料理に合う「染付」の大皿は重宝で、饗宴の際、煮魚や野菜、寿司などの・盛り付け、生作りのサハチに多用され、時に婚礼等祝儀用の染錦のセットと適宜使い分けていたという。博多三大祭礼(松噺・放生会・山笠)などでは、通りに面した商家では屏風と大皿を用意するのが常で、壊される恐れも勘案して下手な安価品も数多く生産された。
 磁器の変遷に照らすと、染付は初期伊万里染付・藍九谷・藍柿・古伊万里との展開であるが、本品は柿右衛門様式の染付の比較的早期の染付大皿の一例である。
 明るめの呉須で、見込みに上空(龍を暗示)を威嚇する竹に虎文を描き、周囲に牡丹と蔓草のいわゆる花唐草連続地文で埋め尽くす輪花尺五の染付大皿といった体で、裏面にやや黒っぽい染付で梅花唐草繋ぎ(筆の走りはあるが元禄期の糸唐草ほどではない)を施し、高台内の銘は「大明成化年製」、目跡五つである。山下朔郎著「藍九谷と藍柿右衛門」にほぼ同手の染付大皿あり(No. 148「竹に虎文大平鉢」)、こちらは裏銘は”渦福”で、裏文はやや丁寧な梅唐草である。ほぼ同時期のものとしてよいであろう。
 なお、唐草文様はシルクロードを経て我が国にもたらされた女性好みの地文で、花唐草>萩唐草>微塵唐草との時代的好みの変遷が指摘されており、南川原B窯(柿右衛門)第二層出土品(延宝年代とされる)、「元禄二年(1689)巳五月吉日」との墨書銘の箱に入った片身替桜散文中皿(裏の唐草繋ぎは「糸唐草」と呼ぶものになっている)等と比較勘案して元禄より少し前17世紀末の作と見ていいであろう。
 ひとくちに「染付大皿」といっても、後代の文化文政、天保期のもの、幕末明治のものが数多く、概して、有田内山の染付大皿は富豪向け上手品で、有田外山、大外山の染付大皿は大衆向けの大量生産品と大別できる。
 花唐草文については、初期(1670年ごろから)のものは、牡丹の花、つる、葉、つる先を克明に線描きし適宜ダミ筆で淡く彩色。しかし、それも、次第に単純化の傾向を見せ、中期(1750年ごろ)には、牡丹の花をひらたくダミ彩色も花の中央部分だけとなり、葉やつるの先の描写も省力化。後期、1800以降 に至ると、牡丹の花びらが消え葉とつる先が地文風にびっしり敷きつめられたものとなる。なお、ユニークな蛸の足を思わせる蛸唐草は、やはり時代的変遷があり、後には単純に渦巻きを線描きしてこれに吸盤の瘤を等間隔で付加していく。
 料理を盛る器として、数ある染付皿の中、中島誠之助氏ご自慢の「染付透かし唐草文皿」は、これら花唐草・蛸唐草を巧みに配した秀逸なデザイン皿として垂涎の品である。
  • 竹に虎文大平鉢

    竹に虎文大平鉢

  • 南川原B窯出土片(延宝年間)

    南川原B窯出土片(延宝年間)

  • 元禄二年銘箱入片身替桜散文中皿

    元禄二年銘箱入片身替桜散文中皿

  • 染付透かし唐草文皿

    染付透かし唐草文皿

  • 鯉文染付大皿

    鯉文染付大皿


上野 憲示
上野 憲示

1948年、大阪生まれ。

東京大学文学部美術史学科卒業。栃木県立美術館学芸員。東京大学、清泉女子大学などの非常勤講師(美術史学・博物館学担当)を経て、現在、文星芸術大学学長ならびに芸術理論専攻教授。

著書に『鳥獣人物戯画(日本絵巻大成六)』(中央公論社)、『渡辺崋山の写生帖』(グラフィック社)、『ハイビジョン鳥獣人物戯画』(ハイビジョンミュージアム推進協議会)、おもしろ日本美術1(文星芸術大学出版)など、美術史家、美術評論家として活躍。


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