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おもしろ日本美術

おもしろ日本美術2 第二十回

南川原の柿右衛門B窯“物原”の堆積層は有田磁器史の縮図!

「色絵捻縁古九谷様式梅鶯文皿」「篆書陽刻染付菊に小禽文皿」「柿右衛門様式染付鶉文皿」

色絵捻縁古九谷様式梅鶯文皿

色絵捻縁古九谷様式梅鶯文皿

篆書陽刻染付菊に小禽文皿

篆書陽刻染付菊に小禽文皿

柿右衛門様式染付鶉文皿

柿右衛門様式染付鶉文皿

 古九谷論争が「古九谷有田説」の考古学的実証でケリがついた現在、これまでの研究史を反映させて、「古九谷様式の肥前磁器」として呼び慣わす古伊万里のジャンルが存在する。
その中でも柿右衛門に直接つながる系脈の窯の作品群がある。年木山楠木谷窯と南川原の柿右衛門B窯である。ちなみに、喜三右衛門(初代柿右衛門)の「覚」に自分が年木山にいたころ・・との表現があり、実際、前者末期の陶片類と後者初期の陶片類に重なるものがあり(篆書文字陽刻皿など)、色絵プロパーの赤絵町誕生もあって、1660年前後に前者から有縁の後者の地へ窯場を移したと判断されている。
 前者、楠木谷古窯(1号窯、2号窯、枳藪窯)については、昭和61年、平成3年、同5年、同8年と、九州陶磁文化館や有田町教育委員会の手で発掘調査がなされている(平成4年3月の報告書あり)。
 特徴的な出土資料としては、「承應貮歳」の裏銘のある(「松竹梅石榴文皿」など)色絵小品の陶片や、ゆるめの捻縁の蔓草文皿の陶片(同系の名品に「捻縁竹に虎文皿」がある)が指摘され、上手の寒色系色絵(古九谷様式)の小品類が大量に焼かれたと見られている(一部、長吉谷窯後期作品とも類似する)。
 また、後者の、南川原柿右衛門B窯は、昭和51〜3年の発掘調査でその大要が判明。
 10室の北側に堆積物が3.8メートルの深さ(ほぼ水平に20層)に及ぶ物原があって、そこから大量の磁器陶片が出土。(なお8室の北側にも物原あり)
 注目すべきことには、13層(寛文末〜延宝)を境に、下方は藍九谷様式、上方は藍柿右衛門様式と、ドラスティックな変化が確認された。すなわち、同一窯の時間的な経緯の中で、「古九谷様式」から「柿右衛門様式」への劇的な発展的変容が成されたのであり、時は寛文時代、1660年代末ごろとされる。本焼き前に素焼きの行程が一般的となり、新様の絵の具の開発もあって、染付は呉須の多色化やぼかしダミの技法が生き日本的な抒情性や品格を増し、色絵は寒色系から暖色系へというか、透明度を増し、より鮮明化して垢ぬけた印象のものになったのである。
 最下層の19層からは、いわゆる藍九谷の型物皿の陶片が多数出土。篆書陽刻磁器破片や宝尽(松竹梅と鶴亀宝紐)陽刻磁器破片であるが、あらかじめろくろ成形を成したのち型に当てて叩き陽刻を転写する、土型を使った型物、揃いものである。海外輸出特需に沸く直前の国内の大名や高家向けの実用の数物食器類の一部であろうか、明暦3年(1657)1月被災の江戸城跡や、天和2年(1682)被災の加賀藩・大聖寺藩江戸屋敷(現東京大学本郷キャンパスエリア)などの、高家の屋敷跡からの出土資料に共通するものが確認されている。
 写真の3点の資料は、「楠木谷窯の上手の捻縁古九谷様式色絵皿」「柿右衛門B窯物原最下層出土陶片と同手の篆書陽刻染付皿(藍九谷)」「柿右衛門B窯の上手の柿右衛門様式染付皿(藍柿右衛門)」、それぞれの同手の伝世品である。


上野 憲示
上野 憲示

1948年、大阪生まれ。

東京大学文学部美術史学科卒業。栃木県立美術館学芸員。東京大学、清泉女子大学などの非常勤講師(美術史学・博物館学担当)を経て、現在、文星芸術大学学長ならびに芸術理論専攻教授。

著書に『鳥獣人物戯画(日本絵巻大成六)』(中央公論社)、『渡辺崋山の写生帖』(グラフィック社)、『ハイビジョン鳥獣人物戯画』(ハイビジョンミュージアム推進協議会)、おもしろ日本美術1(文星芸術大学出版)など、美術史家、美術評論家として活躍。


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