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おもしろ日本美術

おもしろ日本美術2 第二十一回

土型原型師の手技が有田磁器の高品位量産化を導く

藍九谷様式立花図色紙形篆書陽刻皿、同水辺双鷺文松竹梅陽刻皿

立花図色紙形篆書陽刻皿

立花図色紙形篆書陽刻皿

水辺双鷺文皿および同じ松竹梅窓絵陽刻皿の例

水辺双鷺文皿および同じ松竹梅窓絵陽刻皿の例

篆書文字陽刻皿の例

篆書文字陽刻皿の例

篆書陽刻「畏長是平」

篆書陽刻「畏長是平」

 一般に藍九谷と呼び習わされた染付皿の中に、柿右衛門に直接つながる系脈の、陽刻をともなう型づくりの数ものの皿類がある。
 篆書文字(4×2)陽刻皿、松竹梅窓絵(6)陽刻皿、如意頭文(8)陽刻皿、波頭文(16)陽刻皿、丸文(12)陽刻皿・・・等、数パターンの陽刻デザインが指摘できる。いずれも1660〜70年の制作と推定される7寸程度の皿で、染付皿のほか、同意匠の白磁皿も存在する(当然素地を違えている)。
 長吉谷窯の最後期の出土陶片中に、藍九谷の立花図色紙形の見込み部分が見えるが、同手の伝世品はまさしく篆書文字陽刻皿で同じ系脈のものである。「平」の第五画のハネが逆方向との微妙な違いがあり、むしろ前段階の手技としてその技法の移入元とも見られる。そもそも、南川原柿右衛門B窯は、1660年頃楠木谷窯から柿右衛門系列職人が移動したものとされるが、当初は共同窯としてあって、職人の引き抜きも想定すべきであろう。なお、初期ヨーロッパ輸出品に加えられてかバーリーハウス蔵品中に見る。
 また、藍九谷水辺双鷺図が、松竹梅窓絵と如意頭文の双方の陽刻皿に絵付されており、型打成形師と絵付画師の分業化が知れ興味深い。当時の南川原の窯で原型師として名をはせた田中刑部左衛門、新三郎父子(土型の一部に名を留める)らの手によって案出された土型(赤土で造り素焼きを施すことで耐久性が高い)が完成度の高い量産化の道を切り開いたのであろう。


上野 憲示
上野 憲示

1948年、大阪生まれ。

東京大学文学部美術史学科卒業。栃木県立美術館学芸員。東京大学、清泉女子大学などの非常勤講師(美術史学・博物館学担当)を経て、現在、文星芸術大学学長ならびに芸術理論専攻教授。

著書に『鳥獣人物戯画(日本絵巻大成六)』(中央公論社)、『渡辺崋山の写生帖』(グラフィック社)、『ハイビジョン鳥獣人物戯画』(ハイビジョンミュージアム推進協議会)、おもしろ日本美術1(文星芸術大学出版)など、美術史家、美術評論家として活躍。


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