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おもしろ日本美術

おもしろ日本美術2 第二十二回

国内外に好まれた捻縁縁紅の型物皿の揃いもの

「植木鉢文捻縁縁紅皿」

「植木鉢文捻縁縁紅皿」

「植木鉢文捻縁縁紅皿」

バーリーハウス蔵「慈姑菊文捻縁縁紅皿」

バーリーハウス蔵「慈姑菊文捻縁縁紅皿」

「竹に虎文捻縁縁紅皿」

「竹に虎文捻縁縁紅皿」

 典型的な柿右衛門様式の色絵磁器は、果たしてどこで作られたか?
 優秀な上絵付職人が強制的に集められたという赤絵町の遺跡から多少の色絵磁器の破片が出土しているが、典型的な柿右衛門様式のそれではない。また、南川原山古窯でつくられた素地とも異なるという。南川原の柿右衛門B窯の物原からは、色絵磁器片の出土こそ僅かであるが、大量の濁手白磁片が出ており、色絵磁器の素地として焼かれたものと判断されている。近くに赤絵窯が設置され大量の上絵付けが施された器が焼かれたと見るべきで、850度ほどの低温ゆえほとんど無駄なく焼成されて不良品の色絵磁器片も生じることも少なかったものと理解できる。また、産業スパイを恐れて徹底した廃棄物管理がなされたとも言われる。
 そもそも、17世紀後半期の柿右衛門様式色絵磁器は、国内市場へはほとんど供給されず、国内での遺跡出土も江戸城内遺跡や東大本郷キャンパス(加賀藩、同支藩大聖寺藩江戸屋敷)、長崎出島のオランダ商館跡等に限られ数えるほどの件数である。まさしく、その生産品のほとんどが、もっぱらヨーロッパへの輸出に振り向けられていたことになる。近年になってそれが積極的に日本国内に買い戻され、身近にその優品を目の当たりにして、初めてその実態に目覚めたという次第である。
 オランダ東印度会社を通じてのヨーロッパへの輸出(正規の積荷に加えて帳簿外の脇荷も)は、はじめ景徳鎮磁器を範とする染付ないし色絵の壺類に始まり、柿右衛門様式の色絵皿や壺・フィギア、俗にオールド・ジャパンと言われる赤・青基調の染錦手の壺や皿、これに豪華な金彩を加えた絢爛たる金襴手の大型磁器へと時代の好みは変わっていく・・・。
 なお、初期の滑り出しでは、意外にも、従来の藍九谷と呼ばれる染付小品も優品を選んで加えていたことが判明している(ドイツのドレスデン国立美術館やイギリスのバーリーハウス蔵品)。
 「篆書陽刻立花図色紙形皿」等の型作りの陽刻皿は、その藍九谷の特徴的な一例であったが、さらに今般、当時流行した捻縁の型ものの藍九谷皿を示しておきたい。
 ただ、捻縁の流行には、詳細には、二段階の波がある。すでに第一段階の波は、1650年代にあって、山辺田窯の色絵大皿に対抗して、精緻でシャープな彫りの上手の色絵、同染付(藍九谷)小品テーブルウェアが、ダンバギリ窯(縁紅捻縁陶片出土)や楠木谷窯(捻縁縁紅蔓草文皿陶片出土)で量産され、その古九谷様式五枚組の七寸皿あるいは五寸皿に定評があった。伝世品に「紫陽花文捻縁縁紅皿」や典型のイメージリーダーとしては、表出の強い著名な「竹に虎文捻縁縁紅皿」などがあり、バーリーハウス所蔵の「慈姑菊文捻縁縁紅皿」はまさしくこの時期なったものである。
 そして、第二段階としてのうねりは、1660年代で、柿右衛門B窯下層部の陶片に見る、捻りの波の彫りが幾分甘く大味でのっぺりながらも、大胆でバロック的な絵付けが印象的な一連の捻縁の磁器皿である。本品「植木鉢文捻縁皿」は、柿右衛門B窯物原出土の陶片に合致する伝世品であり、ともに柿右衛門窯の製品と認めてしかるべきものであろう。


上野 憲示
上野 憲示

1948年、大阪生まれ。

東京大学文学部美術史学科卒業。栃木県立美術館学芸員。東京大学、清泉女子大学などの非常勤講師(美術史学・博物館学担当)を経て、現在、文星芸術大学学長ならびに芸術理論専攻教授。

著書に『鳥獣人物戯画(日本絵巻大成六)』(中央公論社)、『渡辺崋山の写生帖』(グラフィック社)、『ハイビジョン鳥獣人物戯画』(ハイビジョンミュージアム推進協議会)、おもしろ日本美術1(文星芸術大学出版)など、美術史家、美術評論家として活躍。


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