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おもしろ日本美術

おもしろ日本美術2 第二十三回

南川原の柿右衛門B窯13層出土陶片が物語る藍柿右衛門の冴え

「染付粟に鶉文皿」、「染付木賊に鶉文皿」、「染付スギナに鶉文皿」

染付木賊に鶉文皿

染付木賊に鶉文皿

染付粟に鶉文皿

染付粟に鶉文皿

染付スギナに鶉文皿

染付スギナに鶉文皿

 元年木山の楠木谷窯から、南川原の柿右衛門B窯そして同A窯と系脈を繋いできた柿右衛門窯。それぞれ大量の上絵付用白磁の陶片に加えて、上質の染付陶片が出土する。
 色絵磁器にあっては、近くに赤絵窯を設けてさかんに制作されたものと思われるが、なお、低温での焼付と徹底した生産管理で焼き損じの陶片はごく僅かである。
 楠木谷窯の業績を引き継ぎはじまった、柿右衛門B窯の物原最下層部から出土する陶片類は、一般に“藍九谷”と通称される染付磁器の破片であり、それが中ほど13層あたりで、和様意匠の“藍柿右衛門”とみごとに入れ代わり、以降“藍柿”一色となる。「延宝年製」との裏銘のある陶片の出土もあって、1670年代の変容と見られているが、素焼きを施した上での絵付け、本焼き手法が徹底安定し、細筆描き、絶妙なぼかしダミの繊細巧緻な作風が高度に完成したのである。ただし、この様式変化は、規模の大きい山辺田窯の大変化にも準ずるもので、製作窯の違いによるというものではなく、時代の流れというか、正しく製作年代によるものである。
 また、柿右衛門B窯は元禄の初めで窯を閉じ、至近の同A窯へバトンタッチしていく。 しだいに、かつての中国的な画題も影を潜め、紅葉に鹿、桐に鳳凰、竹に虎・・・といった、すっかり親しみやすい和風の画題にシフトしていく。
 さて、柿右衛門B窯の13層からは、「粟と鶉のツガイ」や「木賊と鶉のツガイ」の一部と思われる陶片が出土していて、これらに合致する上手の伝世品が確認できる(写真1、2)。また、ほぼ同手の「スギナと鶉のツガイ」も世に知られており、それぞれの完成度の高さに魅了される。注目すべきは、予想のほか藩窯鍋島に接近していることであり、民窯の筆頭格として准藩窯的なプライドと意地がそうさせたのであろう。
 そもそも、藩窯御道具山は、はじめ承応年間に大川内山日峰社下窯へ、延宝3年(1675)に同大川内山の周囲と隔絶したエリアに結集整備され、最上手献上品制作拠点となる(明治4年廃業)。元禄6年(1693)、二代藩主鍋島光茂の藩窯組織改変(下手な陶工の罷免、民窯の優秀陶工の引き抜き)があり、同時に、特別に藩から柿右衛門に協力要請(同年の「手頭」<指令書>)が下る。柿右衛門窯では新趣向をこらした、いわゆる”柿鍋”とも俗称される完成度をもって誠意対応。裏銘に年紀と「柿」の署名の入った”元禄柿”が若干数伝世する。
  • 柿右衛門B窯13層出土陶片

    柿右衛門B窯13層出土陶片


上野 憲示
上野 憲示

1948年、大阪生まれ。

東京大学文学部美術史学科卒業。栃木県立美術館学芸員。東京大学、清泉女子大学などの非常勤講師(美術史学・博物館学担当)を経て、現在、文星芸術大学学長ならびに芸術理論専攻教授。

著書に『鳥獣人物戯画(日本絵巻大成六)』(中央公論社)、『渡辺崋山の写生帖』(グラフィック社)、『ハイビジョン鳥獣人物戯画』(ハイビジョンミュージアム推進協議会)、おもしろ日本美術1(文星芸術大学出版)など、美術史家、美術評論家として活躍。


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