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おもしろ日本美術3

おもしろ日本美術3 第九回

「のぼり」と「のぼる」

―俳句・雑俳・狂歌・軟文学の世界に遊ぶ崋山の使い分け―

 渡邉崋山の通称「登」については、田原藩の御納戸本と称される藩の文書中に「のぼり」とルビされた箇所が認められることから、まずは公的には「のぼり」と読むべきであろう。崋山の『漫録』に「書画人角カノ番付」とある文化末年の文人墨客の番付(秦星池、山本緑陰、大窪詩仏、菊池五山、佐藤晋斎、依田竹谷の企画)にも、「花山のぼり(後刷では「崋山のぼり」)」とある。(『都下名友品題』にこの番付をめぐる騒動の記載あり)
 しかしながら、これをもって「のぼる」と呼ばれたり、彼自身「のぼる」と署名したことが全くなかったとするのは早計である。事実、『目黒詣』(文中の俳句・狂歌にのぼる表記)をはじめ、崋山の俳画・雑俳と称するものには「のぼる」と署名した作品が数多く存在するのである。これについて、菅沼貞三氏は、あくまで「のぼり」が正しく、「のぼる」とあるものは全て信頼できないと判断されている。この論理では『目黒詣』も当然、氏の否定の範疇にある。
 確かに、「のぼる」(“ほ”は“保”とか“本”とも表記)と落款する作品中には一目でおかしいと判かるものが少なくないことは否めないが、中には十分崋山真筆と認めるべきるものも存在する。
 また、崋山の”崋”という字を、草冠から山冠へと変更した時期については、かつて菅沼貞三氏は、田原藩の藩庁文書を詳細に調査され、その内より三十五歳ごろ替わったという説を立てられた。この点については、千葉県の浜口家所蔵の客坐録中、崋山三十五歳に当たる文政十年の第五冊に、『説文』を紐解き”華”という字の種々の書体や異体字を説明し、さらに草冠と山冠では意味するところがどう異なるかを記した部位があり、確かにその時期、崋山がこの問題を掘下げたその痕跡を確認できる。同時に氏が疑われていた浜口家本「客坐録」の信憑性を保証するものとなる。
 そこで、避けて通れないのが、国指定重要美術品で国華社でコロタイプ複製も発刊された『目黒詣』そのものの真贋論争であろう。
 最近私のもとへ寄せられた新出資料に、冨田本『目黒詣』(折本装丁)があり、これを精査するに、正本画巻とは別に同じ十四日夜半に速筆でしたためられた副本と判断される。菅沼氏が眉をひそめられた鷹見定美の「・・いばり(オシッコ)の海など・・」との軽口や最後の「入相の太鼓どこやら紅葉山」の句、上田正平の「雲ちかう・・・」「冬の日や・・・」「のぞみたる・・・」の句が割愛されている。同行の仲間(おそらく鈴木修賢)に贈られたものとして、折本見開きに諸図が収まるようにとの作者ならではの計らい、崋山があわてて消す燃え出した提灯の「ひちりき」の文字の齟齬のなさ、弁当を立喰いする崋山、座して句をひねる鷹見の軽妙な描写、文中の楷書体の筆くせ・・・等からして、崋山直筆を十分納得させるものであり、ひいては『目黒詣』画巻そのものを真筆確実なものとして裏付けることとなろう。
(文星芸術大学 上野 憲示)

  • 『目黒詣』ののぼる署名

    『目黒詣』ののぼる署名

  • 「華」と「崋」の検討

    「華」と「崋」の検討

  • 『目黒詣』画巻折本

    『目黒詣』画巻折本


上野 憲示
上野 憲示

1948年、大阪生まれ。

東京大学文学部美術史学科卒業。栃木県立美術館学芸員。東京大学、清泉女子大学などの非常勤講師(美術史学・博物館学担当)を経て、現在、文星芸術大学理事長、同大学学長ならびに芸術理論専攻教授。

著書に『鳥獣人物戯画(日本絵巻大成六)』(中央公論社)、『渡辺崋山の写生帖』(グラフィック社)、『ハイビジョン鳥獣人物戯画』(ハイビジョンミュージアム推進協議会)、おもしろ日本美術1(文星芸術大学出版)など、美術史家、美術評論家として活躍。


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