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巴里通信は、パリからヨーロッパのアートシーンをコラム形式でお届けします。

tomoko写真

画家
TOMOKO K.OBER
トモコ カー.オベール

VOL.13

Elisabeth OZOLINE エリザベット・ オゾリンヌ
- イコノグラフ(イコン画家) -


イコンから来る愛、平和、喜びを感じて

トモコとエリザベットトモコとエリザベット

パリ東のヴァンセンヌの森近く、イコン画家エリザベット・オゾリンヌのアパルトマンを訪ねた。サロンの半分がアトリエであり、たくさんのイコンが飾ってあった。
 私(Tomoko)は約三十数年前、イコンをギリシャで見た時から心を動かされていた。ポ‐ランド、モスクワ、クロアチア等でも歴史的なイコンを見てきたが、今年になって初めてイコン作家に出会うことができた。
 パリ19区にあるロシア正教会サン・セルジュの地階にイコン制作のアトリエとイコン教室がある。その教室の作品展に友人の紹介で行き、教師のエリザベットを紹介されたのであった。長い間、いつも心のどこかにあったイコン画が、どのようにして作られていくのかを、その日初めて目の当たりにすることができた。


■イコンから直接くる力

イコンを制作するエリザベットイコンを制作するエリザベット 「作品」「作品」

イコンの木はヤニが少なく軟らかい、ポプラ、白樺、菩提樹等を用いている。
 「選んだ木に、湯煎した糊で特殊な生地を貼っていきますが、温度に気をつけないと木が割れてしまいます」。注意深く繊細な作業の説明をする。「柏、なら、クヌギ等の硬い木はパーンと割れたりするし、ヒビが入りやすいです。それらでイコンを作ったことがありましたが、車に載せて運んだものすべてにヒビが入ってしまった」と。
 縦横20−30cmから大きなものまで、厚さ2−3cmの木に描くのだが、ム−ドン白、スペイン白を15回ほど塗る。ここまでが下地で1週間位かかる。その後でデッサン、色付け。色は全て自然の物、土から黄土、黄、赤。カドミウムから赤、オレンジ。木炭から黒。チタンから白。青、緑そして金。昔は黄土と黒の暗いイコンが多かったが、今はカラフルになっている。最低でも顔は5回、まわりは3回塗る。粉絵の具を溶く溶剤は黄身で少々の酢(防腐剤)と水で、フレスコ画と同様である。塗るのは濃い色から始め、明るい光の色を出すためにピラミッドの様にだんだん薄い色になるようにする。1枚仕上げるのに最低1ヶ月はかかるという。
 「描いている聖人の人生を考えながら作業をします。次第に自分の中に平和、愛、そして喜びが感じられるようになりました。一度サン・ソフィーと3人の娘のイコンを描いている時、彼女等の人生を思い、涙が溢れたことがありました。きちんと最後の完成までいくように祈りながら制作しています。たとえ自分のコンディシォンが整わなくても、次第に良い状況に行くのはイコンから直接くる力と思っています。イコンは天上を現し、様式化して描いていきます」。
 彼女はたった1人で、主にチャペルで制作する。クリスト・ウッド(ニューヨーク近郊)で8年間かけて制作、ペンシルバニアではフレスコ画でチャペルの外回りをひと夏かけて制作している。そのほか、オランダで、パリ郊外のロシア人墓地のチャペルで、ル−マニアの教会で 、モスクワ最大の墓地のチャペル等で、キリストの復活を3ヶ月で仕上げたという。そして約20年間、サン・セルジュロシア正教会で、毎週イコン教室の教師として指導を続けている。


■ディアスポラ(離散)のロシア人たち

「作品」「作品」 「作品」

「作品」

エリザベッドのオリジナルはロシア人。1939年にイスラエルのエルサレムに生まれる。当時エルサレムはイギリスの植民地だった。
 「父はロシアのヴォルガ出身で、ロシアの白軍としてエルサレムに駐留していました。私はエルサレムから北10kmにあるベタニヤのロシア正教会の小学校に通っていました。父は1948年、イスラエル対アラブの戦争の勃発を機に、私1人を地方の知り合いのイギリス人将校の家族に預けました」
 2日後イラクの軍隊により、エルサレムのアラブ人以外の人々の虐殺が……。家族全員が殺され、エリザベットは11歳で一人ぼっちになってしまった。この話を聞いていて私は背筋が寒くなった。
 「その後、エルサレムのゲッセマネ(アラム語でオリーブの油絞りの意味)のロシア正教会の宿舎で保護され学校教育を受けることができました。11歳のその時からイコンを描き始めたのです」
 彼女は正教会のシスターになりたいという希望を持っていたが、25歳の時、育ての母にパリへの巡礼を許されたのを機にそのままパリに在住。イコン画家として新たな地で人生をスタートさせた。やがてパリで、ロシア人(ドイツ生まれ)のロシア正教の神学生と結婚。その後3人の子どもを育て(1人は正教会の司祭)、パリ在住50年の今は、何人かの孫に囲まれて過ごす幸せなときをおくっている。
 彼女たちはディアスポラ(離散)のロシア人と呼ばれているが、彼女はパリ在住のディアスポラである偉大なイコン画家ウスペンスキーからも学ぶことができた。
 「ウスペンスキー師は、ロシア最後の皇帝ニコライ2世のいとこ達であるタチアナやロマノフと、子どもの頃よく遊んだ話しをしていました」
 18、19世紀は、ロシア人は歩いてエルサレム巡礼をした。何人かは、そのまま在留し、聖地に土地を買ってロシア正教会や付属施設を建設したという。「ロシア革命の時は、たくさんの人々がエルサレムに亡命しました」
 「その頃、2人のイギリス国教会の宣教師がインド伝道の帰りにエルサレムにきましたが、ロシア正教会に触れて改宗しました。彼女たちはいくつかの正教会や学校を建てましたが、私はその学校の一つに通うことができたのです。この2人の宣教師はマリー・ステュワート朝(後のイギリス王朝)の子孫で、莫大な資産がありました。その財を投げ打って学校や教会を建てたといわれています」
 1時間半にわたって淡々と個人史を語ってくれたエリザベット。歴史に翻弄されながらも、イコンに魂を込めた画家との出会いであった。


TOMOKO K. OBER(パリ在住/画家・ミレー友好協会パリ本部事務局長)

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