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巴里通信は、パリからヨーロッパのアートシーンをコラム形式でお届けします。

tomoko写真

画家
TOMOKO K.OBER
トモコ カー.オベール

VOL.19

- Lili- Ley【リリ・レイ】-
シャンソン歌手、 作詞作曲家、東京シャンソンアカデミー代表

■フランス語でシャンソンを歌う日本人歌手

リリ・レイ(パリにて)リリ・レイ(パリにて) リリ・レイ(左)と筆者トモコ・オベールリリ・レイ(左)と筆者トモコ・オベール

小雪のちらつく寒い夜だった。会場はパリ11区のバスティーユ・オペラ座の近くの有名な「Café de la Danse」。まるで古代ギリシャの半形コンサート会場をモダンにしたような素晴らしい建築である。
 入場者が列をつくってあふれていた。私はシャンソンに精通している友人の強い推薦でコンサート会場にきて「リリ・レイ」という日本人シャンソン歌手のシャンソンを聴くこととなった。
 「シャンソンの本場パリで、外国人が、しかもアジア人である日本人が、どんなフランス語のシャンソンを歌うのか」と興味津々で会場に入った。
 リリ・レイは、研ぎ澄まされた身体に無駄な脂肪はなく、しなやかに登場した。シャンソンと、身体の「動」と「静」を融合させて完成させている。モダンバレエのような、1人芝居のような舞台が繰り広げられた。日本人シャンソン歌手のフランス語でのシャンソンは、パリで何度も聴いたことがある。しかし、こんなにもフランス人の発音に近いフランス語のシャンソンと豊かな表情にあわせた身体の動きによるシャンソンは、聴いたことも見たこともなかった。もちろんイタリアの歌はイタリア語で歌っている。
 今回はイヴォン・シャンテニュ氏とのコラボ・コンサートで2時間近いコンサートだった。リリ・レイのピアノ伴奏は近藤正春氏。客を喜ばせ、陶酔させ、ハッと覚めさせたりして、今では少なくなった粋な芸人のような二人のシャンソンの舞台でもあった。
 フランス人をはじめイタリア人たちの「ブラボー、ブラボー」の声が長く続いた。その声に応えたのが、最後の歌の「 あまい囁き(パロ−レ・パローレ )」であった。これはかつて日本でも大ヒットしたアラン・ドロンとダリダのデュエット曲であった。私はその歌声に感動しながら遠い青春の日々を思い出していた。


■『天才声楽家』と称えられて

2011年1月29日、銀座ヤマハホール、リリ・レイ リサイタル一部、東京シャンソンアカデミー生徒たちコンサート2011年1月29日、銀座ヤマハホール
リリ・レイ リサイタル一部、東京シャンソンアカデミー生徒たちコンサート
2011年7月30日、内幸町ホール、リリ・レイと弟子たちのフランス原語シャンソンコンサート2011年7月30日、内幸町ホール
リリ・レイと弟子たちのフランス原語シャンソンコンサート

10区のレプブリック広場の近くの彼女のいるアパルトマンを尋ねた。その日、「リリ・レイ」の波乱万丈の人生を聞く事になるとは思ってもいなかったが、彼女に会ってどうしても聞きたかったことは「なぜフランス語で歌うのか?」であった。
 「だって日本語にしたらフランス語独特のニュアンスや美しさが伝わらないでしょう?やはり原語で歌いたいと思いました。それに東京藝術大学の学生時代に素晴らしい先輩の音楽家や教授達に、『この大学は世界に通用する音楽家を育てる所だ』と教育され、『語学ができない音楽家はまず通用しない。語学は武器、インターナショナルな本物の音楽家になれ』と教えられました。それを守り続けて約40年も経ってしまいましたよ。それは学び続ける修行のようなもので、他の人の意見や批判は、今でもスルスルと聞きますね」
 彼女は東京藝術大学声楽科卒後、大学院で修士課程へ、その後、奨学金でベルギー王立音楽院オペラ科プルミエルプリプ及びスーペリアルプリ卒業。「天才声楽家」と称えられ、最高位のメダルをいくつも受賞している。
 「本当はパリで学びたかったのですが、パリコンセルバトワールの年齢制限は確か24歳。既に29歳でしたから隣国フランス語圏のベルギーコンセルバトワールになったのです。ベルギーでは小柄なので、若く見られましたね。ロータリーインターナショナル財団の奨学金の300万円の中から、60万円で中古のBMWを直ぐに買って、有名な声楽家のレッスンを受けるために、パリまで毎週車を飛ばして通っていました」


■私には歌があるから

2012年12月16日、朝日ホール リリ・レイ と 生徒達 出演2012年12月16日、朝日ホール
リリ・レイ と 生徒達 出演
2012年12月16日、朝日ホールにて2012年12月16日、朝日ホールにて

「藝大に入る前の18歳の時に、NHKホールでマリア・カラスの晩年の最後のコンサートを聴きました。物凄いオーラを感じて、ショックを受けて床にひれ伏してしまったのです。カラスから西洋音楽とその舞台での美を知り、とても憧れました。つまり、彼女のようになれたらなんて夢見て留学したのです。現在まで、まだその美を求めて歌い続けることができるのです」
 オペラ等の声楽は喉の筋肉(声帯)の使用するので、フルヴォイスの練習は三時間が限度である。だがシャンソンはマイクを使用するのでもっと長く歌えると、約20年前にオペラからシャンソンへの道へと転換したという。
 「18年間ほぼ毎日、銀座の私の店でシャンソンを歌っていました。今回は私のコンサートで3週間程のパリでしたが、長いときは2ヶ月くらいで、年に1、2回はパリに来ます。本場パリでコンサートを聞く為にも。いろいろと苦労もしましたが、それをあまり感じないで、何でも受け入れてケセラセラで過ごしてしまう性格です。しかし、私には歌があるから、支えられ、生かされ、救われているのです」
 このインタヴューの間、彼女は、さまざまな人生の苦労話も含めて絶え間なく話し続けた。そして、何度もイタリア人のように大きく口を開けてカラカラと笑う。私は「リリ・レイ」の人生の機微を、楽しく愉快に聞くことができた。


■3.11以降の変化

2013年パリにてリリ・レイ コンサート2013年パリにてリリ・レイ コンサート
Photo:YOLLIKO SAITO

2年前の3・11を経験して彼女はレストランとシャンソンのお店を閉めた。世田谷の成城の自宅をシャンソンアカデミーにとし開放し、グループレッスン、プライベートレッスンでシャンソンを教え、ヴォーカル・セラピーや発声指導も行っている。
 「3・11以降怖い思いをし、明日のことが分からない状況になり私も生徒さんもシャンソンに救いや癒しを求めました。元気で好きなシャンソンをフランス語で歌い続けたいと思いました。お店の全てを清算してシャンソンの指導とコンサート活動に絞りました。本来の音楽家の自分に戻れて本当に良かったと思っています。年に5、6回は生徒さんとのコンサートを銀座ヤマハホール、内幸町ホール、朝日ホールなどで行います。生徒さんの長所を発見し伸ばすのが私の仕事です。それには自分自身も成長しないと駄目ですから、パリは私にとってシャンソンやフランス文化の最高の勉強の場所です。何よりも刺激になっています。そして、日本では私はシャンソンを教えることで生徒さん達からたくさんのエネルギーをもらい、成長させていただいています」
 歌うことによって身体の筋肉を使うので、身体作りにモダンバレエを週2時間習っているという。彼女の明るい笑顔は、はつらつとしてエネルギーにあふれていた。
 「生徒さんはフランス語シャンソンの勉強仲間でもあり、同志として魂の世界に触れられるようになりました。夜から明け方までは新曲の創作と練習で、私はあまり睡眠時間が必要ではありません」
 最も気をつけていることは「食べること」と話す。「食材に注意し、自分で料理は全部作ります。あとは美的に暮らすことです。室内をヴィジュアル的にバランスよく飾り、エピソードを感じるようにします。でも仲間との宴会が大好きで、よく食べよく飲みます。パリは良い食材がたくさんあるのでいいですね」
 リリ・レイはすでに「ラテン」の女性になっていた。


TOMOKO K. OBER(パリ在住/画家・ミレー友好協会パリ本部事務局長)

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