ピックアップ山中桃子個展ナイジェリアの太陽精神科医のニア・ミス伝統と文化−下野手仕事会−栃木のステキ美術館だより地域レポート遥かなる戦争と遠ざかる昭和おもしろ日本美術3アユルものがたり―那須のくにのおはなし―
  • トップページ
  • 編集、制作
  • 出版
  • 企画
  • ビオスインタビュー
  • 巴里通信
  • 出版物一覧
  • お客様の声
  • 会社概要
pre_bios

巴里通信は、パリからヨーロッパのアートシーンをコラム形式でお届けします。

tomoko写真

画家
TOMOKO K.OBER
トモコ カー.オベール

VOL.28

- Elisabeth・Tomczyk-Kubiszyn 【エリザベット・トムチェック-クビシイエンヌ】- 画家
戦いの歴史

■2国の言語と文化は豊かな財産

作品の前のエリザベット作品の前のエリザベット 筆者トモコ・オベールと自宅で筆者トモコ・オベールと自宅で 古都ニサ古都ニサ 歴史ある美しい街マニ・アン・ヴェキサン歴史ある美しい街マニ・アン・ヴェキサン アートサロンで、彼女の功績を称える市長アートサロンで、彼女の功績を称える市長
 「大学を卒業する1年前に私は恋人の子供を妊娠しました。みんなに学業と子育ては両立できないと反対されました。でも私は両方を取ったんです。とても大変でしたが娘が1979年に生まれ、私は翌年、全資格を取得して卒業できたのです」
 画家エリザベットは1955年に南西ポーランドのニサ(Nysa*1)に生まれた。大学はカトヴィツェ(ニサの隣県)のシレジア美術大学に入学。優秀な成績で教師資格も得た。版画を専門としたが全ての材料での創作を学んでいる。その若い時代の生活の大変さと精神的な重荷を懐かしがるように話しはじめた。当時の恋人は、夫ヨレック。娘のナタリーは現在弁護士として活躍している。
 「1985年、娘が6歳のときに、私達親子3人はフランスに移住しました。私の祖父母は北フランスのパ ドゥカレ(Pas de Calais)に移住し、私の父や母もそこで生まれたのです。そこにはポーランドの移民の人たちが大勢移住しました。ですから、ポーランド在住の家の中では、みなフランス語を話していて、私もフランス語を聞いて育ちましたので、両親ともフランス・ポーランドの国籍を持っていますし、当然私も2つの国の国籍をもっています」
 日本人である私(筆者Tomoko)は、フランス人の夫と一人息子がいて、結婚してからフランス国籍を取得したことを話したが、日本では2重国籍は認められていないことに驚いていた。
 「フランスにいた私の父親は16歳の時、フランスのレジスタンスとしてドイツと戦ったのです。ですから父の祖国としての意識がありフランスはとても身近に感じて生きてきました。2つの文化、歴史、言語を持っていることは豊かな財産を持っていることと思っています。特に、『自由』と他の国からの『侵略がない』ことが、最も大切なことと思っています」
 エリザベットの娘時代のポーランドは、隣国から自由になったにもかかわらず人びとの意識の中では真の解放がなく厳しい状況にあり、それらのつらい経験を忘れることがない。アーティストとしての感性の繊細さはその状況に何回も潰されそうになった。自由は時間をかけて始めて身に付くものだ。
 「人は塵であることを痛切に感じました。ポーランド人は戦争で国が何回も引き裂かれ、そのたびに安全な国に逃れたのです。例えばニューヨーク、フランス、ベルギーなどです」

■町の芸術文化の発展に貢献

 1987年、エリザベットはマニ・アン・ヴェキサン(Magny-en-Vexin*2)に移住しすでに26年になる。
 「ここでアートのために生活できるのが嬉しい。しかし生活を始めるのはとても難しかった。つまり何処にいても『始める』のは大変という事です。2002年にアート協会を設立して、市庁舎でアトリエを開設してもらい子供たちから大人までのクリエイティブ・アートとして指導して実績を積み上げてきました」
 またアトリエ・セラピーとして知的障害者や末期エイズ患者に絵の指導をしている。
 「私は幸せです。この町に創作アートを根付かせ、アート・サロンでの発表や患者さんたちへの指導に明け暮れていますが、これは全て自分のためですから。この町から私は全てを与えられました。私も町のために役立つようお返しするのが当然です」と話す。アーティストと同時にヒューマニストなエリザベットがいた。
 昨年秋、町のアート・サロンで彼女は名誉招待作家に選ばれた。10年間サロンの会長として町の芸術文化の発展ために大きく貢献してきた。広い会場の舞台全部が彼女の大作で埋められた。展示されている彼女の作品はコンピュ-ター・グラフィック。「もちろん大事なのはキャンバス」という。彼女の戦ってきた生き方が作品に表れていた。それは白黒に赤が激しい噴出すようなエネルギーを感じさせた作品である。
 私も『人は塵』だと思うが、同時に宇宙に広がる『無数の星』のようにも思えると話すと、エリザベットは「正にその通りです、宇宙空間を常に意識しています」自らを厳しく生きてきた彼女の顔が初めてニッコリした。
 来年の8月フランスのサロン・ドートンヌの初めての試みとして、会員の中から選ばれたフランス人作家の展示会が、東京の新国立美術館で開催される。エリザベットもその一人に選ばれた。
 「戦いは続いているのです。最後には良い結果が出ることを願って描き続けています。生活はとても質素ですが(笑)」

(*1)ニサ
南西ポーランドでシレジア地方の古都の一つ。20キロ南はチェコ共和国。200キロ西はドイツ国境、その先にドレスデンがある。中世以前から第2次大戦後まで、オ-ストリア、チェコ、ロシア、ドイツ、等に占領され、1807年ナポレオンのフランス帝国にも占領された。

(*2)マニ・アン・ヴェキサン
パリより50キロ程北西にある、ヴァル・ドオワーズ県の町の一つ。
紀元前ローマ帝国の支配下時に、ルテシア(パリ古名)からルーアンに行く「シーザ−街道」の通り道だった。17世紀の王室画家や建築家たちの生まれた所でもあり、その後の印象派の画家達をも惹きつけた場所。


市のアートサロンで。エリザベットの特別展示市のアートサロンで。エリザベットの特別展示
北京で発表した作品:ETK-2013-Le-Chemain-de-Croix北京で発表した作品:ETK-2013-Le-Chemain-de-Croix


TOMOKO K. OBER(パリ在住/画家・ミレー友好協会パリ本部事務局長)

バックナンバー

ページのトップに戻る