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巴里通信は、パリからヨーロッパのアートシーンをお届けします。

tomoko写真

画家(取材者)
TOMOKO K.OBER
トモコ カー.オベール

VOL.45

造形作家 - Rupert・Mair【リュペルト・マイール】-

■豊かな自然に囲まれて育ったイタリア人作家

故郷の大自然を背に。リュペルト・マイール故郷の大自然を背に。リュペルト・マイール 自然豊かな故郷ボルツァーノ自然豊かな故郷ボルツァーノ 筆者トモコとリュペルト・マイール筆者トモコとリュペルト・マイール 運河の側にあるアトリエ運河の側にあるアトリエ 運河の側にあるアトリエ 運河の側にあるアトリエ 運河の側にあるアトリエアトリエで

「1963年に北イタリアのボルツァーノ(Bolzano)の大自然に囲まれた美しい農場で育ちました。両親はリンゴ園を経営していました。もちろん、ワイン用のブドウの木やその他の果物もいろいろありました。9人兄弟の8番目でしたので、大家族の中で自然に恵まれた楽しい暮らしでした」と、イタリア人造形作家リュペルト・マイールは物静かな口調で語りはじめた。
 10年位前、私(筆者トモコ)は北イタリアのトレントの近くにある中世の古城で個展を開催したことがある。そこから約50q北方にボルツァーノの町、車でさらに約50qほど行き、高山を越えて約30qほど行くとオーストリアのインスブルックの町があるという地形である。この道はドロミテ街道と呼ばれ、ボルツァーノ自治県(南チロル)、トレント自治県、ベッルーノ県にまたがっている。切り立つ山々と美しい渓谷を持つ変化のある地形で3500mから4000mの山々がそびえている。「アイスマン」(*1)は、このイタリア・オーストリア国境のエッツ渓谷の氷河で発見された。
 かつてモーツアルトやゲーテも、憧れのイタリアへ入るために通ったボルツァーノの町。オーストリアやスイスの国境を背に住む人々の生き方は、敵に侵略されたり、通商の通り道だったり、プラス・マイナスがあるわけだが、保身には長けていて質実剛健であるという。
 「しかし、ボルツァーノの地形は盆地なので、夏はとても暑く、冬は寒いのです。高い山の頂はいつも雪があります。美しい山々を眺めながら、あの国境を越えたまだ見ぬ他国を想像していました」とリュペルトは語る。

■故郷を抱きパリで創作する道を選ぶ

「子どもの頃からデッサンが好きで、よく描いて遊んでいました。孤独が好きであまり友だちとも話をしなかったですね。BAC(大学入学資格試験)の後で、イタリアの美大を受けようと思っていましたが、うっかりして書類提出が間に合わず、オ−ストリアのウイーンの美大に進路変更しました。はじめてウイーン行ったときに、大きな街で本当に驚きました。ウイーンで6年間学び、そこで美術教師の資格も取得しました。学生時代は仲間と小さなアパートをシェアしながら美術の勉強にのめり込んでいましたね」
 しかし、実は高校最後の修学旅行で行ったパリが彼の脳裏から離れることはなかった。「修学旅行の範囲ですが、パリの街をめぐり、美術館をめぐり、あの時の感動は忘れることができませんでした」
 彼はイタリア語、ドイツ語、フランス語、英語を上手に話し、日本語、韓国語、スペイン語も少し理解できる。
 「大学終了後、3ヶ月の奨学金で憧れのパリへ飛びました。更に1年半延長して滞在して、旅行業のガイドの資格を取得しましたが、これは食べていくためです。その後、ボルツァーノに戻り3年間中学校の美術の教師をしました。しかし、パリで作品を作っていきたいという思いが断ち切れずに、結局1996年にパリに戻り、現在まで続いているのです」
 彼の住むアトリエはパリ市の所有である。やはりアーティストの友人と共同で借りている。「今住んでいるアトリエは、前を流れる運河がぼくの町のイザルコ川に似ているので、とても安らいで気に入っています」と、パリにいても幼い頃から見慣れた故郷を流れる川が創作の原点として彼の心にしっかりとある。
 現在も多国語を活用したガイドとして仕事をしているが、サラリーマンよりも自由が利く仕事であり、創作活動をしていくには適した仕事であるという。迷いながらの創作活動への道であったというが、それも若さゆえの特権であり、迷うことは若さゆえである。

■ミニマリズムな作品

「材料は主に木・画布・石膏です。下地が白なので色はミニマムでいいのです」と彼は作品を紹介してくれた。最低限必要な色を少しだけ用いて、シンプルな形を組み合わせで立体的にしている。
 「建築的な作品です。まず、最初は幾つかの断片・破片を組み合わせ、他の作品に組み立てて行く作業です。これは他の物に変化させた物を他者に見せるという、いわば舞台装置のような感じです。ですから今まで作ってきたものを全て組み合わせて作品を作ることが可能なのです」
 昨年、彼は南フランスの国際ビエンナーレの“NON OBJECTIF”に招待されている。
 「とても良い経験をしました。私の考えですが、現在の世界は確かな物を認識することは不可能であることを知らされました。私の探していること、やっていることは、まるで賭けのようでもありますが、確かな物を認識するための案内者の役割なのではないかと思っています。作品として置かれた形は、まるで残された跡のようなもので、作られ、取り去られます。しかし、その残された跡から、不安や苦悩、情熱などを感じ取ることができるのではないかと思っています」と、あたかも哲学者のような作品に対する解説をする。
 しかし、彼のアートに対する真剣な眼差しと顔付きを見ていて、イタリアの偉大なアーティストを思い出した。彼の後ろにはイタリアの芸術の歴史を築いた多くのアーティストの存在が見え隠れしていた。そして21世紀の今、彼の中にそれらの一部が受け継がれていると思えた。
 彼のアトリエの古い建築様式の窓から、冬の午後の柔らかい光が差し込んでいた。ここはまるで中世の修道院の内部のような雰囲気がある。そのことを伝え「あなたが修道士だったりして」と冗談めいて言ったら、生真面目な顔がほぐれて初めてニッコリと笑った。


作品作品3
作品作品2
作品作品1
作品作品6
作品作品5
作品作品4
作品作品8
作品作品7

photo: T. Notsami


(*1)アイスマン
1991年にイタリア・オ―ストリア国境の海抜3210mのエッツ渓谷の氷河で発見された約5300年前の男性ミイラ。少しイタリアよりだったのでボルツァ−ノの考古学博物館に納められた。



TOMOKO K. OBER(パリ在住/画家・ミレー友好協会パリ本部事務局長)

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