アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「地域レポート」No.1

仙台訪問 -4月23、24日-

仲間たちの生活

真っ先に私が感じたことは「仲間」の存在でした。岩手、宮城、福島と仲間がいるのですが、なんと言っても心の病を抱える仲間たちの生活です。例えば、アルコール依存症の当事者に必要とされる「断酒の3本柱」(1:自助グループ2:通院3:抗酒剤の服用)。被災地では病院が数多く被害を受け、通院もできず、処方薬も手に入らない、さらに自力で移動もできない多くの現地の仲間達はどう過ごしているのか……。精神疾患の方々にとって、不特定多数の見知らぬ人がいる中での避難所生活は、きっと誰にも言えず、ただひたすら耐えているのなら、長い時間は無理なはずです。これだけの被害だけに、とりあえずは命があるだけでもと、いう思いはあるかもしれませんが、人間の「緊張状態」にも限度があります。

実際に避難所から自宅に戻り、被災した住宅の2階だけで生活を始める人がでてきました。水も出ない、お風呂も入れない、しかし避難所にはいたくない、当然だと思います。親戚の家に身を寄せていた方も、長期に渡ると居づらくなり、自宅に戻るケースもでました。

何かできる事はないか

地震直後から「とちぎボランティアネットワーク」では、「災害ボランティア事務所」の立ち上げや、県内の避難所のコーディネートなどをしていた経緯もあり、「個人レベルでできる事は少ない」と感じていました。一体どうすれば……。でも、とにかく現地に行って仲間に会おうと決意しました。

以前から仙台市在住の方が、「とちぎボランティアネットワーク」に「自宅を拠点にしても構わないので使って下さい」と、申し出があり何度か宿泊し利用させていただきました。彼女もまたメンタルな部分で「何かできる事はないか」という共通の考えがあり、今回の仙台訪問に協力していただくことになりました。

見るも無残な光景

3月23日午前4時。自宅を出て、宇都宮インターより仙台南インターまで約3時間弱。高速を降りてとにかく海を目指しました。午前7時過ぎには仙台市若林区荒浜に到着。

そこで見た光景はとても言葉で表せるものではありませんでした。海沿いまで近づき砂浜まで行って海を眺めてみましたが、その日は波も静かで、巨大津波を想像すらできない穏やかな眺めでした。浜辺からすぐ住宅地がありますが、見るも無残な光景に絶句。鉄筋コンクリートの建物でさえ破壊されました。木造の住宅や建屋は壊滅的で基礎だけが残っていました。

そこから更に内陸に向かい300mほど行くと小学校の校舎がありました。見ると、浸水した形跡が校舎の3階までありました。教室は地震の起きた日のままの状態です。廊下には押し流された車が重なっていました。

自宅が津波で流されてしまったAKK仙台の仲間にお会いしました。初めて耳にする現地の方の生の声。身内が流されてしまった辛い話をしてくれました。そして太白区に向かいブログの仲間と合流して話しを聞かせてもらいました。

できる事を継続すること

午後2時30分、時仙台市泉区へ。「クリアリングハウス仙台」(自助グループの立ち上げや運営の相談施設)を訪れ、地震当日からの活動について話しをお聞きし、今後のできる事について意見交換をしました。この施設は、本来なら「宮城野区」にあるのですが、津波の被害で現在の施設を間借りしている状態でした。この泉区の施設は「NPO法人雲母倶楽部」(きららくらぶ)という介護施設ですが、理事長さんにお会いできることになりいろいろな話しを伺うことができました。話しは2時間くらいでしたが、「何ができるのか?」に対し「明確な答えなどなく、自分達にできる事を継続すること」というアドバイスを受けました。単発的な「炊き出し」などが必要な時期は過ぎており、小さなことでも継続しないと意味がないという結論でした。

その場での私の提案は、「ゲリラカフェ」。こちらからカフェを営む仲間と仙台市へ向かい、連絡の取れる仲間に話しをすることにしました。

宇都宮市に帰ってからその後、現地の仲間と連絡を取り合い、今もなお「何ができるか」模索中です。仙台訪問第2弾はコーヒーの準備をして仲間との交流を深める時間にしたいと思っています。次回は6月に行こうという計画を立てています。

若林地区で

小学校校舎1階

仙台の仲間たちと

右から、NPO法人雲母倶楽部理事長・大坂純さん、野添透、太白区在住・阿部祥子さん、クリアリングハウス仙台・袖野貴之さん

石巻市―きれいな桜が…

野添 透(のぞえ とおる)

とちぎAkk研究会 代表

とちぎセルフヘルプ情報支援センター 代表

2011年3月11日、甚大な被害をもたらした東日本大震災。栃木県も主に東部で被害が大きかったようです。福島県から避難してきた方も多く、各地で「避難所」が開設されました。津波によって流されて「衣食住」がままならない方がかなりの数字です。また人災に当たる原発事故から避難された方も同じです。