私は1978年から83年の間、フランス人の夫と一緒に北ナイジェリアの大きな都市カノの近くの小さな部落ゴルワゾに滞在した。私達の結婚数ヶ月後のことである。彼は大型機械のエンジニアでナイジェリアに仕事のために行くことになったのだ。
記事一覧
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No.21(最終回)
別れの日
結局、この北ナイジェリアに通算4年半滞在した。以前書いたように10ヶ月滞在し2ヶ月の休暇でフランスに帰国す...
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No.20
野生動物保護地域
ナイジェリア北、ゴワルゾー村にあるフランスの会社居住地区に住む私たちのところから400キロほど南東にあるナイ...
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No.19
何もないから智恵を働かせる
パリでの療養の2ヵ月後、私は元気になりナイジェリアの北ゴワルゾー村のフランス人住宅地に戻ってきた。私がて...
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No.18
ここは何処? ああ、パリだ!
私は、前号で書いたナイジェリアの内乱の後、原因不明の病気で急遽ナイジェリアからフランスの病院に飛行機で搬...
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No.17
原因不明の病気で本国に緊急搬送
部族闘争の内乱は約3ヵ月続いたが、その後なんとか治まった。フランス人住居区の私たちの被害はとりあえずなか...
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No.16
ここで死にたくない
ナイジェリアで数年おきにある選挙が近づくと、国の事情を良く知っている会社のベテランのフランス人たちの口に...
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No.15
ナイジェリアで日本人男性たちに出会う
当時(約35~40年前)のパリは、まだ、訪れる日本人は少なかった。パリでもなかなか会えない日本人だったが、ナ...
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No.14
カノの病院で
先月号で書いたが、私は強盗に入られた後ショックで体の具合が悪くなり、会社の車で運転手と一緒にナイジェリア...
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No.13
はじめて命の危険を知った
クナイジェリアでの夫の仕事のサイクルは10ヶ月働いて2ヶ月ヴァカンスと言う具合で、みんなヴァカンスを指折...
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No.12
フランス人居住区とカンボスのえこひいき
クワヤシャニに引っ越したが、まだ社宅が未完成で、1ヶ月ほど全員がトレーラー・ハウスに住むことになった。2D...
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No.11
エチオピア人の友人と移動民族ボロロ族(その2)
ナイジェリアのクワヤシャニで遊牧民のボロロ族に出会ったが、彼らは所有する牛に植物を食べさせるために移動し...
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No.10
さらにナイジェリアの奥地に移動
夫の仕事の関係で北ナイジェリアのゴワルゾに住んで2年ほど経った時、ここから北東500キロのクワヤシャニ(...
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No.9
過酷な環境の中で生命を繋ぐ
私は自転車で敷地内を出て周りを散策するのが習慣になった。近くの村で人々が普通の生活をしている様子を見たい...
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No.8
村に来た移動遊園地
その日は村の広場がいつもよりにぎわっていた。移動遊園地が来たのだ。子どもたちがたくさん集まり楽しそうにし...
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No.7
体力勝負の暑いクリスマス
ナイジェリア・ゴルワゾに滞在して約1年。ここは1年中暑いので四季のはっきりした日本生まれの私は、季節の感...
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No.6
食料を求めて(その2)
ナイジェリアの土で畑を作って耕し、パリから持ってきた種で野菜を作った。暑い土地だからもしかしたら夏野菜だ...
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No.5
食料を求めて(その1)
ナイジェリアのゴワルゾに在住してからは、週に一度、会社の小型バスで近くの現地の市場に買出しに行く。これは...
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No.4
黄緑色の太陽と見えない危険物
ナイジェリアは一年を通して暑い国であるが、フランスや日本の春から夏(3月~8月)の季節には雨季となり、秋か...
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No.3
ゴルワゾのフランス人居住区の生活と生き物たち
ナイジェリアのゴルワゾ村にある私たちフランス人家族のための居住地域は、かなり広くフランス人家族の家が20軒...
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No.2
ナイジェリア・ゴルワゾへ向かう
パリから飛行機でロンドンを経由してナイジェリアへ向かった。機上の窓から黄土に輝いて見える広大なサハラが、...
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No.1
気軽な気分で
アフリカ最大の人口を擁する国ナイジェリアは西アフリカに位置する乾燥地帯である。キャラバン貿易を通じてイス...