幕末の偉大な思想家・文人画家渡辺崋山(1793~1841)の生涯は、その人生観、生き方の面においても人の鑑となるものである。貧乏藩三河田原藩の下級武士の子として江戸(三宅坂の田原藩上屋敷の長屋)に生まれ、主君への忠義、年老いた親への孝養、弟妹たちの養育といった窮乏辛苦の中、終始、自らに厳しく、また弟子や周囲にも精進と克己を説く人であった。
記事一覧
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No.13
崋山花鳥画に見る日本画の革新―写生と東洋画の伝統に依拠した構想画―
渡辺崋山が常に携帯し、絶えず拝見・調査の機会を得た書画類を記録した、いわゆる客坐縮図冊には、その土地土地...
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No.12
崋山の「図取り」は単なるパクリにあらず。新たな至高の芸術世界の創出!―最晩年の入魂の優作「黄粱一炊図」、「月下鳴機図」―
前に触れたように、写山楼の画家たちは、画面作りにあたって頭の中で練りあげる「構成画」としての東洋画の伝統...
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No.11
自然界から取材(図取り)の懐中のデータベース―崋山先生蟄居中愛用の写生冊「翎毛・虫魚冊」―
自然界からの図取りとでもいうべき、自らのスケッチ帖等からの図柄を本画に用いた例として特筆されるのは、蟄居...
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No.10
渡辺崋山の写生観―写生は“自然界からの図取り”―
伝統的な東洋画は、画面作りにあたって頭の中で練りあげる「構成画」を基本としており、そのための手段として、...
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No.9
「のぼり」と「のぼる」―俳句・雑俳・狂歌・軟文学の世界に遊ぶ崋山の使い分け―
渡邉崋山の通称「登」については、田原藩の御納戸本と称される藩の文書中に「のぼり」とルビされた箇所が認めら...
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No.8
渡辺崋山の草体画(4)―紀行画『刀禰游記』と手控冊『客坐縮写第五』―
渡辺崋山は、「客坐掌記」と通称する手控冊をこまめに記しており、それが亡くなった時には背の高さまであったと...
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No.7
渡辺崋山の草体画(3)―背景に天下泰平、江戸後期の洒落本・軟文学流行の世情―
崋山は、残された書簡・記録類からは、生来のまじめ人間と知れるが、少々突っぱってまじめに「不まじめ」を行う...
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No.6
渡辺崋山の草体画(2)―崋山と洒脱なへたうま画の極み俳諧画―
崋山は俳句の宗匠太白堂の知己を得て、自ら俳句を詠み、俳句関係の版本『桃下春帖』『いわい茶』『華陰稿』『月...
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No.5
渡辺崋山の草体画(1)―崋山渾身の当世風俗活写『一掃百態』―
渡辺崋山は、最晩年、蟄居の身で再び罪科の危険が迫ってくるとの危機意識の中、重要文書等を、あるは「火中書」...
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No.4
列強の脅威の中での日本の行く末を案じる開明派の苦悩―自叙伝の体をなす渡辺崋山の『退役願書稿』―
『退役願書之稿』は、天保9年(1838)の初頭、崋山自筆の田原藩家老職辞職願の下書きであるが、その前半部...
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No.3
今なお多くの信奉者を惹きつける克己の人渡辺崋山―崋山研究の糸口としての珠玉の史料の数々―
小藩三河田原藩一万二千石の年寄役(家老)末席を務めたサラリーマン武士渡辺崋山は、一流の文人画家としての別...
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No.2
衝撃的なその最期―杞憂を以て死した崋山先生―
渡辺崋山先生は、その最晩年、国元田原蟄居という立場を案じつつも、達観の境地というべき、半ば居直りに似た芸...
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No.1
渡辺崋山新論(1)―克己の人渡辺崋山―
幕末の偉大な思想家・文人画家渡辺崋山(1793~1841)の生涯は、その人生観、生き方の面においても人の...