1980年、夫アンリーのアフリカのナイジェリア勤務が終了し、次の勤務地がインドネシアの首都ジャカルタに決まった。私は初めての東南アジアの国でとても嬉しかった。それは単純に日本が近くなったからだ。
記事一覧
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No.8(最終回)
ジャカルタ
夫はジャカルタにいて私は6カ月前にパリで一人で出産したのだが、友人たちの助けによりどうにか息子の育児をし...
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No.7
国によって異なる産婦人科医(その2)
フランスの会社からインドネシアのジャカルタに派遣されていた夫は、パリでの2か月のヴァカンスの後にインドネ...
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No.6
国によって異なる産婦人科医(その1)
私は数ヶ月間の妊娠期間をインドネシアと日本とパリで経験した。インドネシアでは外国人妊婦専用の産婦人科に行...
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No.5
歴史の層
1980年代の当時、夫はフランスの会社からインドネシアに転勤となり、私たちはジャカルタの中心地にあった会社...
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No.4
どの国の人か分からない?
35年前のジャカルタ滞在中に一度だけ一人でバスに乗って市場に買い物に行ったことがある。小さなオンボロバスだ...
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No.3
ジャカルタの「食」
1980年代のジャカルタでは、庶民的のための屋根のついた大きな市場があり、いつも人々でごった返していた。見...
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No.2
いろいろな人や物が混ざっている活気ある街
1980年代当時、ジャカルタの私達のアパルトマンは、街の中心地の大道りに面したは近代的な高層ビルであった。...
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No.1
はじめての東南アジア
1980年、夫アンリーのアフリカのナイジェリア勤務が終了し、次の勤務地がインドネシアの首都ジャカルタに決ま...