アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「地域レポート」No.11

『サシバのさっちゃん親子の琉球ワタイ旅』を出版 -市貝町入野正明町長-

栃木県市貝町の入野正明町長(55)が沖縄の歴史や自然をテーマに書いた「サシバのさっちゃん親子の琉球ワタイ旅」が沖縄の出版社「新星出版株式会社」から出版された。市貝町のキャラクター「サシバのさっちゃん」が、太平洋戦争の沖縄戦や今の沖縄の抱える問題を語り手となって導いていく。こどもからおとなまで興味深く読むことができる著書として注目されている。イラストは沖縄出身の入野町長夫人、入野めぐみさん。

 

元沖縄県知事・大田昌秀氏が本書表紙帯に文を寄せている。

「本書は、沖縄の歴史・地理・社会・文化・宗教から自然に至るまで、サシバのさっちゃん親子を登場させて、ユーモラスかつ問題の奥底まで解明している。卓越した著書の分析力と筆力は他に例がないほどで、本書を座右の本にしたい。」

 

本書「おわりに」P236より抜粋

「私はつい最近まで沖縄県には行く機会がございませんでした。妻に連れられて沖縄の島々を巡りながら沖縄戦の悲惨さを教えられましたが、正直私には余り関心がありませんでした。ところが、私の先輩がこのたび元沖縄県警察部長であった荒井退蔵の記念誌をまとめることになったことから、私が早稲田大学の先輩であった大田昌秀元知事に巻頭言をお願いする大役を引き受けることになりました。沖縄出身の妻が、一族に戦死者がいるということで慰霊の日に参列するため帰省するのに合わせて、妻を表敬訪問させたところ、代わりに大田昌秀元知事から私に読むようにと貴重な資料を預かってきたのです。大学院で専攻した国際政治学の指導教授は、元陸軍の和歌山連隊旗手の吉村健蔵先生でしたので、大東亜戦のことは寝言のように耳に染み込んでいましたが、預かった資料には沖縄戦の写真集もあり、地獄絵の凄惨な戦場の写真がとじられていました。すぐに自分の考えをまとめることを決心し、公務に支障のないよう毎朝午前三時ごろから起床し琉球弧の過去と現在に関する本を読み込み、三ヵ月ほどで書き上げることができました。

私は沖縄県の知識は皆無でしたが、沖縄の人々の過去の辛苦と現在の苦悩がすこしずつ我が身のことのように理解できるようになるにつれて心の中に降りて来たのは「汝の立つ所を深く掘れ、さすれば其の処に泉あり」ということばです。自分の島の成り立ちについて地理的に歴史的・文化的に想いを巡らしていると、いつしか誇りが湧いてくるのだと思います。その誇りと自信に依って未来を見つめるとき、単なる郷愁ではなく確固とした方向性も見えてくるのだと思います。

エメラルドグリーンとサンゴに色どられた琉球弧が、陽気で忍耐強いウチナーンチュを乗せて、永遠に平和で美しく輝き続ける島々であってほしいと願って止みません。」

未完

平成二十七年十月 サシバが琉球弧に渡るころ

入野正明

入野正明町長

『サシバのさっちゃん親子の琉球ワタイ旅』

市貝町武者絵作家大畑耕雲氏と著書を前に語る

著者略歴

1960年、栃木県市貝町に生まれる。小中学校では児童会長、生徒会長を務め、早稲田大学では政治家になる志を固め、農業を基幹産業とする郷土を興そうと農政を勉強するために全国農業会議所の職員となり、企画農政部に配属される。29歳で市貝町議会議員となり政治家としての一歩を踏み出す。現在、市貝町長の職を預り、町民の福祉の向上のために身を削って働いている。

大学では、社会科学部において、経済・法律・政治等社会科学の学問の総合化を試み、創立者である大隈重信記念奨学生となる。政治経済学部では、政治理論、特に正義論について学び、さらに、.大学院に進み、元帝国軍人であった吉村健蔵先生の下で「抑止と均衡」について研究する。学士論文は「日本の国際連合加盟過程の研究」、修士論文は「核抑止の研究」。

趣味はサシバの観察と日本刀の鑑賞。著者に『瑠璃色の絆』、そして『サシバのさっちゃん親子の琉球ワタイ旅』があり、現在三作目として近代日本の黎明に焦点をあてた小説を書くために資料を集めている。

ライフワークは、日本の過去を省み、地球の将来を想うこと。祖父の武は、大東亜戦争においてマーシャル諸島クエゼリン島に軍属として出征し、昭和19年1月30日以降上陸したアメリカ軍部隊と交戦となり、2月6日に37歳で玉砕している。

論文

『H・Aキッシンジャー外交理論一その理論的基礎及び有効性と限界に ついて』(早稲田大学大学院政治学研究科・未発表)

『S・ホフマンの「キッシンジャー論」について』(同上)

『非同盟運動の役割について』(同上)

『日清戦争及び日露戦争の世界史的意義』(同上)

『国際組織論考一国際平和機構の理論と実際一』(同上)

『農地等に係る贈与税・相続税の特例制度、その経緯と今日的意義』「都市と農村をむすぶ」1988.Nα450.12月号所収

『ABM(弾道弾迎撃ミサイル)制限条約の成立までとその後』(同上)