アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「地域レポート」No.3

2011年10月25日 宮城県訪問:仙台市・石巻市・女川町の記録 -とちぎセルフヘルプ情報支援センター:野添透-

震災から7か月経過し、支援のカタチは変わりつつある

今回の宮城県訪問で感じた事。見た目には少し綺麗になった様に見えますが、復興が進んでいるなんて思ってはいけないということです。まだまだ手付かずの所もあり、半壊していて危険な建物が取り壊され、道路が通行可能になった程度に感じました。

復興に向けた作業や段取り、はたまた保険や補償の問題…etc。今も尚、生活自体がままならない方々が大勢います。避難所の閉鎖に伴い、仮設住宅や借り上げ住宅に移り、とりあえずは雨風をしのげる環境になったのかもしれませんが……。家族を失い、住宅も流され、仕事にも就けない方々が今後どのように生活をしていくのか。ある程度生活に落ち着きが出てくると、今後長期化するであろう過酷な環境にどう向き合い、どう対処していくのか。精神的ケアが必要不可欠になっています。

避難所から仮設住宅や借り上げ住宅に移ったということは、ますます連絡が取れにくくなり、また住宅の中で起こっている問題が見えにくくなってしまいます。過去の被災経験から教訓が生かされればいいのですが、孤独死やアルコール依存・ギャンブル依存・DV被害の問題など、表面に出てこないケースも無数にあります。例えば、その時は歓迎された酒が、時間の経過と共にやがて牙を剥きます。仮設住宅で起こった孤独死に至ってしまった神戸の実例では連絡が取れない事を不安に思った家族が見に行ってみると、ウイスキーの瓶を持ったまま亡くなっていた、部屋には空き瓶がごろごろしていたというケースもありました。また、八丈島での被災が5、6年後に飲酒量の増加に繋がったなどの事実もあります。飲酒自体に問題があるのではなく、環境が精神的不安に追い詰めているので、依存してしまう危険性が増すと考えています。

今回の災害でもビール会社は被災地に直接差し入れをしようとしていましたが、多方面からの抗議が続き食い止めてきました。これは、一部の方には喜ばれたかもしれませんが、かなり危険な行為です。直前で止めることができて本当に良かったと思います。

道路や建物は目に見えるので、作業が進んでいくのがわかるかもしれませんが、かなりのダメージを背負った心の痛みは、目には見えません、また誰にでも相談できるわけでもなく一人で抱えてしまうケースが多くあります。仕事もなく、先行きの不安と闘いながら、現実と向き合っていかなければなりません。まるで出口の見えないトンネルを徒歩で歩いているようなものかもしれません。アルコール依存やギャンブル依存なども増え、処方箋に頼らなくてはどうにもならない方も出ています。過去の災害からわかることは、これからアルコール依存症や処方箋による薬物依存症などで病気の進行に繋がったり、または孤独死に至るケースが出てくるという事です。

しかしながら、今後の大きな課題の一つに「心のケア」が必要であるという報道が少ないような気がします。これもまた現実の問題です。私たちは栃木県に住みながら、今後どう関わっていけるのか、今後も仙台の仲間たちに会いに行き、また電話やメールなどで話し合いを続けながら自分達に出来ることをやっていきたいと思っています。

10月、石巻市、日和山公園から見下ろすと、石ノ森漫画館が見える。この写真だけを見るなら、何事もなかった景色である。

4月の写真。この段階では、ほとんど手付かずのままで電気も来ていなかった。

同じく半年後の日和山公園よりかなり綺麗になっている。4月の頃より木の葉が伸びていて同じアングルでは撮影できませんでした。

上の写真を見るとわかる様になんとか外見は家屋に見えていた住宅も半壊以上のダメージだったのでしょうね…下の写真ではなんとか残っていた家屋も綺麗に無くなっていました。

同じく日和山公園より。かなり綺麗になっています。

今回は4月に行けなかった女川まで足を延ばしました。未だに手付かずのまま…コンクリートの建物が横倒しになったまま。

中央に見える真ん中の建物も横倒し。

鉄筋コンクリートの建物の解体作業中ですが、近辺には重機の数が少なかった…今後、どれだけの時間を要するのか想像もつかない。

半年前の出来事が、今も尚そのままだった。水害、水圧の恐ろしさがわかる。

川町内の県道。今回の訪問では通行止めの道路はなかった。

女川町内の仮設住宅。あまり多くの仮設住宅は見当たらなかったので、広範囲に渡る仮設住宅の建設と借り上げ住宅の確保に相当な時間を要したと思う。

4月にお邪魔した「クリアリングハウス仙台」、「特定非営利活動法人雲母倶楽部」前回はこの事務所が被災して使用出来ていなかった。仙台市宮城野区にあるこの建物は床下浸水でしたが、近隣の道路が「川」状態だったというお話。とちぎセルフヘルプ情報支援センターのメンバーと雲母倶楽部職員さん前回は聞けなかった法人全体の活動内容を説明していただきました。