アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「遥かなる戦争と遠ざかる昭和」No.10

日本は敗戦で何が変わったのか(その2)

知られざる大革命―農地解放の残したもの

日本政府は、昭和20年9月2日に横須賀港に停泊した戦艦ミズリー号艦上で連合国らに降伏文書に調印した。そして、昭和26年にサンフランシスコ講和会議により日本の独立が認められた。この間は占領状態が継続していた。司令部による言論の検閲があり、日本の改革が推進された。その目的は、日本を二度と戦争ができない国に作り替えることであった。

まず、戦争の経済的な基盤となった財閥が解体された。当時、サラリーマンによく読まれたものに「三等重役」という名の小説がある。会社の社長や専務が会社から追放され、名もない社員が重役になる喜劇を表した。

そして、もう忘れ去られているが、戦後を大きく変えたものに、農地解放がある。昔の大地主は規模が大きく、多くの小作人を従え、天皇制の食料の供給の基盤と兵隊の供給地とされていた。農地解放により地主は一定の田と畑を与えられ、残りは全て安い値段で国に買い上げられ、小作人に解放された。

この農地解放は、世界史的にみて、大変にユニークと言われている。大地主から土地を取り上げるのにあたかも馬の背を乗り換えるように、一滴の血も流さなかったからである。ソ連においてはレーニンの赤軍が、大地主の集団であるコサックを中心とした白軍と、血で血を洗う戦争をして3000万人が死亡している。中国では、毛沢東が人民公社を作るために、土地の全てを国の所有としたが、その際の混乱において地主層が5000万人も殺されたといわれている。ヨーロッパにおいては何度かの革命や大戦を経験することにより、皇帝や貴族が滅亡していった。長い歴史で多くの血が流された。

戦後、アメリカから独立したフリッピンは、日本の敗戦当時は、はるかに経済的に豊かであった。しかし、歴代大統領は、国の多くの土地を所有している大地主から農地を小作人に解放しようとして失敗した。そして、資本主義の発展と産業社会の近代化に成功せず、国力は浮上せず、今は、世界の最貧国の一つである。

中国は、全ての土地は国が所有していて、国民は土地の使用権を国から許可されるだけである。中国では支配層である共産党員とその子供の太子党、党官僚の地方の長官など、一部の者が利権を独占し、人民は何も持たない。

土地所有の平等と民主主義は、最低限の国民の要求であり、土地の所有の形態は国の将来の発展に大いに関連している。

ナホトカでの戦犯追求調査-「シベリア抑留記録」関一男 画・文より

帰国輸送船内-「シベリア抑留記録」関一男 画・文より

藤田 勝春(ふじた かつはる)

藤田 勝春(ふじた かつはる)

1942年(昭和17年)満州国生まれ。1946年(昭和21年)3月満州から引き揚げ。1973年(昭和48年)弁護士開業。1987年(昭和62年)栃木県弁護士会会長。

宇都宮90ロータリー2011年(平成23年)度会長

社会福祉法人「こぶしの会」理事長

「宇都宮平和祈念館をつくる会」代表

藤田法律事務所

〒320-0037栃木県宇都宮市清住3丁目1番14号

TEL028-625-3266/FAX028-627-4216

E-mail:K.fujita@sea.ucatv.ne.jp