35年前のジャカルタ滞在中に一度だけ一人でバスに乗って市場に買い物に行ったことがある。小さなオンボロバスだが、それでも20人くらいは乗れる。日本では廃車にされて捨てられているようなバスだ。途中で急になぜか分らないが後ろ側のドアから乗客があわてて降り始めた。私は前方の運転手の近くにいたが、運転席の近くから火が噴き出してきた。私は驚いて急いで後ろから逃げた。もう少しでバス中に閉じ込められ焼け死ぬ騒ぎになるところだった。現地の人はオンボロバスではあり得る事なので、すぐ察知して降り出したが、私は火を見てから何が起きたか初めて分ったのだ。バスに乗るのも油断ならない。
常夏の国なので、私は一年中短パン・Tシャツにサンダルで、インドネシア人のように真っ黒になっていた。今から約35年前の日本の商社マン奥さまたちの話であるがあるが、ジャカルタの日本関係の建物でバザーがあることを知り行ってみた。ズラーっと日本人の商社マンの奥さまたちが運転手付きの乗用車で来ていて入口近くに並んでいた。いつものことだが、彼女たちは私が日本人とは思っていないようである。インドネシア人のメイドなどの使用人くらいと思っていて完全に無視し、上から目線の態度で通りすぎる。私はメイドのフリをしながら黙って彼女らの日本語での話題を聞いていたが、それはメイドを使うのに苦労している話だった。「良くしてやると付け上がり言う事を聞かなくなるのよ。甘くみられると仕事も適当になって、バカにされるの」と口々に言う。
ジャカルタに来る前のアフリカ・ナイジェリアの4年半の間、私はボーイ、庭番、門番の3人を雇っていた。ナイジェリアの国では外国企業や外国人滞在者は、現地人を何人か雇用する義務があった。現地の人に仕事を教えて雇用を増やす役を担うのである。フランス人は世界のあちこちにあった植民地での経験もあり、現地使用人(メイドなども)を使う事は何の躊躇もない。
しかしそれはもっと深い所から来ているような気がする。例えば「個と他」というヨーロッパ文明の軸からきているのではないのか。どんなに親しくなっても相手の立場を忘れないことだ。フランスでは会社は経営者と社員(使用人)の関係なので普段は互いにフランクに会話するが、相反する利害関係が生じると立場を守るためによくストライキをする。当時の日本人奥さまが現地人に対する支配者的目線の対立的態度(日本人ではないと思っている時は私にも向けられていた)ではなくて、メイドに仕事をきちんと伝えて、家族や友人とは異なる立場である事も忘れずに、雇用する側として仕事を与えられるかどうかではないだろうか。
私の後ろに日本人ではない海外の人たちが並んでいて、私に英語で話しかけてきた。「私はパリ在住でオリジナルは日本人、夫の仕事でここに滞在している」と英語で話すと、彼女はイギリスからきていて、私に「フランフ語訛りがあるわね」と言ったので、「あなたはフランス語が分かるのね」とか、楽しい会話が続いた。日本人奥さまたちは、「あらー」「まぁー」と、私への目線が急変した。この様な「どの国の人?」的な疑問は今後いろいろな国で私に向けられて現在も続いている。
私が何人が分からないと思われるのはパリでも同じで、日本人関係の所に行くと必ず他の日本人がフランス語で話しかける。先日カフェでお婆さんがニコニコしながら近づいてきてラオス語で話しかけるが、「私は日本人」と言うと寂しそうに去っていった。何しろ、夫と最初に会ったとき、夫は私をヴェトナム人と思って話しかけたのだから。
巨大な木の根元で
ジャカルタの住宅の一室をアトリエにして
(つづく)