1980年代の当時、夫はフランスの会社からインドネシアに転勤となり、私たちはジャカルタの中心地にあった会社から支給された高級アパルトマンに住んでいた。アパルトマンのすぐ前にはスカルノ大統領第三夫人、デヴィ夫人の館があった。その建物は広大な敷地にインドネシアにしては渋い茶色の屋根を葺いた、あたかも平城京を思わせる建物で、博物館として一般市民に公開していた。私もどのような豪華な装飾の室内なのだろうかと、パリの貴族の館などを想像しながら期待して訪れた。何しろ大統領夫人の特別な館だったのだから。
入って驚いたのは、内部は旧日本軍がインドネシア人の兵士や民間人を虐殺し村を破壊したあらゆる残虐行為を人形などでも再現して展示されているいわゆる軍事博物館だった。日本の戦争における残虐行為はインドネシア人に日本人に対するどのような認識を植え付けたのか、見終って出てきた時には私は完全に滅入ってしまった。
一方、私が一人で町を歩いていると、インドネシア人の老人が日本人と思って私に近づき「〇〇上等兵はご健在でありますでしょうか」と、ていねいな日本語で直立不動の姿勢で話しかけてきた。そして『見よ、東海の空明けて-』と愛国行進曲といわれたを歌いだしたのだ。この老人にとって日本軍や日本人と良い関係があったのだろうか?戦争の傷が痛んでいる戦後の30数年の時しかたっていないことも自覚させられる。
また、3世紀もの間、オランダの植民地だったインドネシアを一時的にも日本軍が解放したという発想もある。今もって「白人」に対しての憎悪が拭い去られず、フランス人の夫と車で週末出かけてガソリン補給をするときは、アジア人の私が交渉し、彼は車で待っているのだった。「白人」であるとガソリンを売ってくれないこともある。私は、つまり「現地妻」の役でにっこりと。
私は考古学は良くわからないが、とにかくどこの国に行っても考古学(歴史)博物館を訪れる。ジャカルタにも立派な博物館があり、そこには例の「人類最古のジャワ原人の骨(インドネシアのジャワ島でオランダ人の研究者によって1891年に発見された。170-180万年前の化石人類)」があるはずなので見に行った。しかしガラスケース内に飾ってあったのは3~4センチの小さな骨の欠片だけで、全体の復元予想体もなかったのでがっかりした。
インドネシアにだけいる世界最大の大トカゲでジャワ島の東のコモド島で発見された「コモドオオトカゲ(コモドドラゴン)」も是非見たかった。このトカゲの平均長さは2~3メートル、体重70キロの肉食。私達はこれを飼育している動物園で見たが、怪獣のような面構えで、深い堀に何匹ものそのそ、ドタドタと歩き回っているのを見た。もしもジャングルで出会ってしまったら「太古の恐竜が生きていた」と思うぐらいの迫力があった。
水蓮の池
ジャワ海
海辺の家
(つづく)