私は数ヶ月間の妊娠期間をインドネシアと日本とパリで経験した。インドネシアでは外国人妊婦専用の産婦人科に行き、定期健診を受けた。そこは豪華な待合室と診察室があり、ヨーロッパ系の妊婦たちが診察に来ていた。医者はたっぷりと太っていてお金に余裕のあるような笑顔を絶やさない中国人だった。後ろの壁にはアメリカをはじめ様々な国で取得した各種の資格がびっちり張ってあった。フランスでは見かけたことがないので興味津々で見ていたら、「日本のもありますよ」と指をさして教えてくれたが、どこの医大かよくわからなかった。ここでは妊婦をカ-テンで隠さず検診、性別は教えてくれなかった。
その後、短期間だが夫と二人で妊娠7ヶ月のお腹で日本に行き検診を受けた。日本ではカーテンで遮られたので、私は医者の顔が見えないので不安だった。もちろん性別も教えてくれなかった。私の場合お腹が胸の下まで膨らみ体重は20㎏もオーバーしていた。帰国の飛行機で私のお腹の異常なふくらみに、税関員に妊娠何ヶ月か問われた。9ヶ月になると看護婦か医師の同乗が必要だからだ。私は必死に「いや、まだ7ヶ月です。羊水が多くて膨れているのです。問題ありません」と説明した。その当時(約35年前)、東京-パリ間はソ連の上を通れなかったので、ソウル経由でアラスカ、そしてパリへと、2回の乗り継ぎと沢山の時間がかかった。しかもソウルからアラスカまでの10時間くらいの間、飛行機が揺れっぱなしで、さらに急速落下があり、上から荷物が落ちてきたり、テーブルのトレーが吹っ飛んだりした。あの頃はまだ私は飛行機に乗るのが怖くて、こんな状況になったらまるで世の終わりみたいで機内でメソメソ泣き始めたら、夫が「泣かないで、大丈夫だから、誰も泣いていないよ」と。しかし、機内はシーンとして、周囲の乗客はみな顔色も悪く不安な様子がアリアリ、はりつめた空気の中でじっと息を殺していた。客室乗務員はどこにも見えず彼女たちも多分顔をひきつらしながら椅子に座っているのだろう。おまけに私のお腹も緊張のためツッパリ、硬くなってきて苦しくなったのだ。
無事にやっとアンカレッジに着いて「やれやれ」。飛行機から降りて目についたのは巨大な白熊の剥製が天井近くから壁にぶら下がっていたことだった。夫は「本当は僕もとても怖かった」とつぶやいた。彼は色々な小型飛行機にも乗って慣れていたにもかかわらず、やはり怖かったのだった。
パリで検診に行ったら、もちろんカーテンはなくエコグラフィで医者が診ながら「あぁ、男の子だ」と。私は聞きもしなかったのに教えてくれた。夫は1ヶ月ほどでバカンスが終わると一人でインドネシアに戻り、私は一人でパリに残った。日本から母に来てもらおうかとも思ったが、毎日を元気で楽しく過ごし、一人でクリニックで出産すれば良いと決めた。メトロ(地下鉄)では妊婦はすぐに席を譲られるのだが、私は相変わらず胸の下まで膨らんでいるので、妊婦ではない同じような体形の人がたくさんいるため「太っている人」にしか見えないらしく、誰も席を譲ってくれなかった。太鼓腹というより樽の形だった。
遺蹟を見る
旧家屋
ガメラン(音楽)を聴きに
民族舞踊を見ながら食事
妊娠中の筆者
(つづく)