パリに帰りたい!
ゴワルゾ村
パリ・マレ地区の画廊で、筆者
社宅の裏でバーベキューの夕食
ナイジェリアでの夫の仕事のサイクルは10ヶ月働いて2ヶ月ヴァカンスと言う具合で、みんなヴァカンスを指折り数えて待っている。今まで私はどちらかと言えば「発見!ナイジェリア」風の体験記を書いてきた。が、実は毎日のように夫に「もうイヤこんなところ、明日パリに1人で帰るから、上司に飛行機のチケット頼んで!」と、忍耐強い?私も怒鳴ったり泣いたりしたものだった。
画材は数キロ、画布も何10mか持参してきたが、日本人の私がアーティストとして全ての人生をかけて選んだのはパリである。お金を短期間で得るために2人で海外勤務に夢を持って決めてこの地に来たのだが、夫の仕事の10ヶ月間が大変だった。ヴァカンスの2ヶ月のパリはすぐ経ってしまう。
その間、フランスの食べ物を2人で1週間ほどは飢えた様に無我夢中で食べたものだった。例えばカマンベールチーズなどを2人で1箱を毎日、美味しいワイン、そして「私のパリ」と、パリに居るだけで幸せな気分だった。
一度、私だけヴァカンスに続き個展を開催するということで、パリに4~5ヶ月残ったことがある。夫はアーティストの妻と結婚したということで、しぶしぶ承諾してくれた。
パリ・マレ地区での個展会場
パリ個展会場で、筆者
はじめて命の危険を知った
再び最初の赴任地のゴワルゾに戻って来た。元の家に戻ったが、私が作った畑の植物はもちろんカラカラに枯れ砂埃の中に朽ちていた。ただ、高さ1~2m程の茄子のキビガラの様な太い幹だけが、まるで部落の長老の様に倒れず何本か残っていた。私は無駄と知っていたが、着いた日から水をあげてみた。なんと!1週間後、上の方から緑色の細い枝が出てきたのだ。この根っこは地下深く張っていて次の雨季まで又は次の大洪水(まあ、あり得ないが)まで待つのだ。そして、はっきり覚えていないが、たぶん1~2ヵ月後だと思うけど、小粒だが茄子がなって私達はそれを食べた。植物の力強さのその感激は今でも忘れられない。
ここでは、泥棒に入られないように細心の注意をしないと、殺すか殺されるかの場面になる。泥棒の待っている蛮刀はもちろん手製で、長さ50cmくらいで5~6cmの幅で湾曲している。「アリババ」の盗賊が持っているような形で現地の人たちはよく利用している刀である。この蛮刀で泥棒に殺された人たちがいる。現地の人たちより金品がある異国人居住区は狙われる。もちろん寝る時は家の全てのドアに鍵をかけ、寝室のドアにも頑丈な鍵をかける。サロンには貴重品や盗られやすい物は一切置かずに、全て寝室に置いていた。
ある夜、夫がガバッと起きて口にシーというサインをしながら、青ざめたような顔で耳をサロンの方に向けていた。彼は小さな声で泥棒が入っていると私につげた。私はそれを聞いた途端恐ろしい蛮刀を思い出し体はガクガク震えだし、音が聞こえるのではないかと思う程心臓が高鳴った。ベッドにうずくまり2人で日の出を待った。それから、彼は寝室のドアの鍵をそっとあけ、ワーッと雷のような声を出して、すぐに鍵をかけた。彼は「あっヒタヒタと逃げる音がする」と。私は泥棒が入ってきた音も逃げる音も聞こえなかった。2人でベッドの両脇においていた
護身用の約2mくらいの鉄の棒を持ち、警戒しながらそっとサロンをのぞいた。家中のあらゆる場所を見たが誰もいなかったのでホッとした。
その夜は他のフランス人の社宅も泥棒に入られ、物品だけの被害で幸い人への被害がなかったが、朝になってみんなに会うと、それぞれ引きつったような顔をしていた。私は恐怖のショックで体調を崩してしまい現地の病院に行った。
しかし、その後、泥棒の話どころではない大変な状況に出会うとは、まだ思ってもいなかったのである。
個展会場で、奥の二組の仏人、ゴワルゾで一緒だった
個展オープニングに出席したパリのナイジェリア大使代理一等書記官と筆者(左)
(つづく)