パリでの療養の2ヵ月後、私は元気になりナイジェリアの北ゴワルゾー村のフランス人住宅地に戻ってきた。私がてっきり死んだと思っていた人たちはポカーンとして私を見たのを昨日のことのように覚えている。
パリにいる間、夫とともに歯の治療や薬を買い込んだり、美味しい物を食べたり、美しいフランス語に接し、素晴らしいファッションを見たりするための散策を満喫した。
身の周りのすべてを準備してゴワルゾーにもどってきたが、夫はなんと数日してから歯が痛くなってしまった。しかたなく住居から600kmほど南にあるというイタリア人の歯医者に二人で行く事になった。よく聞く話だが、宇宙飛行士があんなに緻密な健康診断をしても、ロケットが発射し地球を何十回か周るところを歯の痛みに耐えられず半分の回数しか周らず戻ってきたとか……。脳が収まっている首から上の痛みは耐えられない。私は子どもの頃中耳炎を患ったとき、子どもながらに脂汗をかきながら歯を食いしばって朝が来るのを待ったのを覚えている。
歯医者に行くのにここでは住所がないので町の名前と医者の名前だけで行くのだが、私は隣で地図を見ながら運転指図をしたにもかかわらず、彼はイヤこっちだと言い張り、途中で気がつき何百kmもUターンという具合で、痛みでイライラしながらサバンナや小さな村をかけ廻った。それでも何とか歯医者を捜して歯の治療を終えることができてほっとしたものである。帰り道に彼は何にも食べられず恨めしそうな顔をしていたが、私だけがパリから持ってきたパンやおいしいチーズなどをパクパクと口に入れてすまして隣に座っていた。
ナイジェリアではどんなに丈夫な身体でも歯1本でサバンナを駆け巡る大変な冒険をしなければならないのだった。
以前、池で魚釣りをした帰り道、サバンナの真ん中に直径5、6m深さ2mくらいの大きな穴があいていた。私が車に乗る前に「後ろに大きい穴があるから気をつけて」と夫に言ったのに、そのままズルズルとバックしてその大穴に車半分後ろから落ちてしまったのだ。「全くこのサバンナの何にもない所でどーするのよー」と私。遥か彼方まで何にもない。サバンナの真ん中でほうりだされたような恐ろしさだがどうにもならない。
しばらく途方にくれていると、遥か彼方に人が数人ほど現地の人たちが様子を見ながらこっちに向かってくるではないか。彼らは来る途中でその辺の石を拾い、車輪の下に置き始めると少しずつ車が水平になった。なんの道具も用いずに落ちている石ころで穴から車を発進させることができたのだ。私たちのことをどうして知ったのか?私は目を見張りそのやり方を見て感激した。夫にすぐ「お金をこの人たちに」といい、私はお礼をいいながらお金を渡した。彼らは何事もなかったかのようにそこを立ち去った。
彼らは近くの村人であったが、私たちには何処にも村は見えない。彼らは過酷なサバンナで生きていくための素晴らしい智恵があり身体能力も秀でていて、例えば視力は5.0とか6.0くらいもあるようだ。この出来事は私にとっては忘れられないナイジェリアの一部であった。
(つづく)