フランス人居住区の生活
居住区のプールで(泳いでるのが筆者)
ロバに乗る筆者とフランス人家族の小学生と村の少年
家の周囲をウロウロしているイボイノシシ
ナイジェリアのゴルワゾ村にある私たちフランス人家族のための居住地域は、かなり広くフランス人家族の家が20軒位はあったと思う。他に単身赴任者用のアパートのような家があった。主な仕事は道路を通すことでフランスの会社とナイジェリアの国家間のプロジェクトであった。道路建設に関するあらゆる専門家が、現地の人たちを指導し現地雇用で仕事をすすめていた。夫は特殊機械のエンジニアとして、フランスの会社から依頼されたこのプロジェクトを成功させなければならなかった。フランスと全く異なる環境と大地を相手に、プロフェッショナルな技術者たちがフランスの大型機械を駆使しナイジェリア・ルート作っていったのだ。
フランス人家庭の子どもたちは小学校までは居住区に建てたフランス人学校で学んでいたが、中学校からはフランス本国で教育を受けていた。ヴァカンスになると、中・高校生たちが両親のいる所にやってきてにぎやかになった。
小学校は1クラスだけであった。フランスから教師が赴任して全学年を指導していた。後に、私はこの教師から依頼され、高学年の授業で絵画指導の時間を受け持つことになった。教師の海外用指導書を見せてもらいノウハウを学んで授業をしていたが、私にとっては子どもたちと過ごすとても楽しい時間だった。
私はパリから自転車を持ってきていたのでこの広い敷地内を動くのに随分助かった。1年中ゴムぞうりに短パンTシャツで過ごせたのも良かった。友人も出来て、自転車に乗って居住地域を行き来していた。他のマダムたちとプールで泳いだり、テニスをしたり、ウイークエンドの夜はホームパーティーをしたりして、フランス本国に帰る日を待っていた。
パーティーでフランス人は必ず踊る。社交ダンスなどしたことがなかった私にはつらく、友人や夫は「大丈夫、リズムを聞けば踊れるし、僕がリードするから」と言ってくれたが、社交ダンスの幾つかのステップは私には難しかった。日本のダンス・ステップの本を見ながら必死に覚えた。
雇用契約をしたボーイが家事一切をしてくれるので、私はたっぷり絵を描く時間をとることができたし、また、興味津々のこの居住地域での生活と居住地域外の村の生活を、迷惑がかからないように見て周ることができた。
カメレオン
ミミズクのタックタックに餌をあげている筆者
餌を食べているタックタック
生き物たち
この居住区の敷地内に色々な生き物が入ってきた。というよりは、元々は彼らのテリトリーだったのだ。また、近くの村人の家畜が放し飼いになっていることもあり、ロバやイボイノシシがウロウロしていて、赤土にはえている貧弱な植物を食べていた。あの頃はロバ1頭が日本円で7千円くらいだった記憶がある。
フランス人家族も生き物を飼っている人たちがいた。夫の友人が1ヶ月間のヴァカンスをとるのでペットにしているミミズクを預かったことがある。逃がさないように片方の足に紐を付けてサロンに放して置いた。餌の肉をあげたり、賢そうな顔のその凛々しい姿を時々デッサンしたりしていた。いつも口ばしをカタカタさせていたので私は勝手に名前を「タックタック」とつけて呼んでいたが、私を可愛い目でじっと見つめていた。
家の周辺には10~15cmくらいの緑色のカメレオンがいつも何匹かノソノソと動き回っていた。カメレオンは動作が鈍いので簡単に捕まえられた。変色するのを見たかったので茶色のテーブルに置いたが、緑がくすんだ汚い色になっただけだった。これでも保護色にしたのだろうと思うと可愛いので背中をなでてあげたら、口を開きゲーゲーとうなり不愉快さを示したので放してあげた。
サソリには最初びっくりしたが、何処でもいるので見慣れてくると色々な種類がいるのも分った。小さな肌色っぽいのは刺されても危険ではないというが、刺されて腕がはれ上がり、手当てのために急きょ本国に送還された仲間もいた。サソリの中で危険なのは大きくて黒光りしている。この猛毒にやられると心臓麻痺のようなショックを受け命の危険にさらされる。サソリはどこから入ってくるのか分らない。家の中にも入ってきて、シャワーを使用中の足元にきた時はさすがゾーッとした。ベッドの上、洋服ダンスの中の下着、靴の中にも入っていたこともあるので、靴を履く前にいつも中をのぞいてサソリが入っているかどうか確かめた。この靴をのぞく癖がパリに帰ってからも何年も続いたものだった。
一度だけ私はすごい悲鳴を上げた。夫が「どうした?」と慌てて跳んできた。広いサロンの真ん中に30cmくらいの白黒のしま模様の直径3cmくらいの芋虫が這っていたのだ。「これはアフリカ最大の蝶になる」とボーイが言った。何年か後に、パリでこの芋虫の作品をシリーズで描き発表した。ショックもあったが自然の中でこんなにも美しい物が這っていたのかと感じたほど、強烈な色彩と形の生き物であった。
ある朝裏の台所のドアを開けた時、私は頭が真っ白になり体が金縛り状態になった。そこにはとぐろを巻いた茶色っぽい蛇が鎌首を持ち上げて私を直視していた。どれ位の時が経過したか覚えていないが大声でボーイを呼んだら、彼は棒でメタメタに叩き殺しぼろきれの様にした。ボーイたちは他の動物にはこの様にしないので、彼らは蛇を非常に忌み嫌っているようだった。数日後、私の栽培していたレモン草の周りにも蛇がとぐろを巻いていたのを見た。後で知ったことだが蛇はこのレモン草が好物だったのだ。美味しい飲み物を作ることができるので私も大好きだった。
テラスには初めて見る種類の鳥たちがいつも遊びにきていた。夕闇とともに大きなコウモリがバサバサとたくさん飛んでいた。家の天井には毒蜘が張り付いていたりした。これらの生き物たちは目に「見える」。しかし大事なことは、これらの生き物よりも危険なものがあるのを後で知った。それらは目に「見えない」ものであった。
「夕暮れのバオバブの木」(キャンバス・油彩)
「タックタック」(紙・水彩)
「芋虫のコンポジション」(キャンバス・ミックス)
(つづく)