アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「ナイジェリアの太陽」No.8

村に来た移動遊園地

村に来た移動遊園地

その日は村の広場がいつもよりにぎわっていた。移動遊園地が来たのだ。子どもたちがたくさん集まり楽しそうにしていた。なんという事はない遊園地だが、お祭り気分のワクワク感が広がっていた。

板の上に、ピンク・赤・緑・黄などの原色の水が入っている色々なビンが何本か並んでいた。たぶんすごく甘い味であろう。一ビンに何本もの細いプラスチックの管が差し込んであって、お金を払って好きな色の水を選び、そのビンから直接ジュースのような液体を吸うのだ。「どのくらい吸っていいのか?」思わず考え込んでしまったが、吸う気はない。どんな水を使っているのか分らない。

ナイジェリアでは飲み水の確保は命に関わる重要なことである。飲み水を求めて遠方に汲みに行くのは、若い女性たちの仕事だが重労働である。丸い土の水がめを満杯にすると14、5㎏になり、季節によっては何kmも歩いて運ばなければならない。風土病の原因が水の質の悪さに起因すると言われている。土製の水がめは重いが安く買える。ブリキ製のバケツは値段は高いが、軽く運ぶのには楽なので、ブリキのバケツが少し普及してきたころであった。

それにしてもあの原色の水の色はなんだ?私の遊園地の風景はあの色飲み水の売り場からはじまる。

コカ・コーラやパンなども売っていたが、コーラのビンなどの蓋はみんな、栓抜きなどないので歯でグイッと空けてしまう。「みんな丈夫な歯を持っているんだ!」と関心したことも記憶にある。いつもの様に落花生売りの子どもたちもいた。

遊園地の中で一番傑作に思えて豪華だったのがメリーゴーランドであった。それは木製で手作りの高さ2m直径2mくらいの円形でごつごつした素朴なものであった。その円形の3か所に小さな木のブランコのようなものがぶら下がっていて、子どもたちを乗せると円の中心にある棒をおとなが回す。メリーゴーランドがゆっくり回りはじめると、子どもたちは大喜びである。回しているおとなの興行師は汗をびっしょりかきながら必死で回していた。

普段子どもたちは、食べるために木の実採りや農作業の手伝いなどで働いていて、遊びは空き缶や古タイヤを転がしているだけである。移動遊園地がやってくる日は祭りに似た特別な時として村人みんなで待っていたことが思い出される。

晴着を着た現地の女の子たち

水汲みの女性たち

遊園地で売られていたビンをイメージ(筆者作)

手作りメリーゴーランドデッサン(筆者作)

(つづく)

TOMOKO KAZAMA OBER(トモコ カザマ オベール)

TOMOKO KAZAMA OBER(トモコ カザマ オベール)

1975年に渡仏しパリに在住。76年、Henri・OBER氏と結婚、フランス国籍を取得。以降、フランスを中心にヨーロッパで創作活動を展開する。その間、78年~82年の5年間、夫の仕事の関係でナイジェリアに在住、大自然とアフリカ民族の文化のなかで独自の創作活動を行う。82年以降のパリ在住後もヨーロッパ、アメリカ、日本の各都市で作品を発表。現在、ミレー友好協会パリ本部事務局長。

主な受賞

93年、第14回Salon des Amis de Grez【現代絵画賞】受賞。94年、Les Amis de J.F .Millet au Carrousel du Louvre【フォンテンヌブロー市長賞】受賞。2000年、フランス・ジュンヌビリエ市2000年特別芸術展<現代芸術賞>受賞。日仏ミレー友好協会日本支部展(日本)招待作家として大阪市立美術館・富山市立美術館・名古屋市立美術館における展示会にて<最優秀審査賞>受賞。09年、モルドヴァ共和国ヴィエンナーレ・インターナショナル・オブ・モルドヴァにて<グランプリ(大賞)>受賞、共和国から受賞式典・晩餐会に招待される。作品は国立美術館に収蔵された。15年、NAC(在仏日本人会アーティストクラブ)主催展示会にて<パリ日本文化会館・館長賞>受賞。他。