渡辺崋山が常に携帯し、絶えず拝見・調査の機会を得た書画類を記録した、いわゆる客坐縮図冊には、その土地土地で寓目した小動物や花卉のクロッキー(生き写し)や、風景の活写(地取り)や民俗学的スナップ等が少なからず含まれている。それらが思いの他、本画制作に活用されていて、まさしく、古典や大家の作品の東洋画の伝統を経承しながらも実写生を績極的に制作の骨体とする崋山なりの絵画観が見てとれ興味深い。
現在遠山記念館が所蔵する崋山花鳥画の名品「白鵞游魚図」は、そもそもが、「臣渡辺登謹写」とあるとおり、当初公命を受けて描き二本松侯に新宅祝いとして贈られ、その居間の襖貼り付けとなっていた二図で、のちに仙台の荒井泰治氏が求め双幅に改装、さらに個人分蔵となり、左幅が記念館に収蔵されたものと知れる。(明治末年刊『日本絵画全集』8崋山の相見香雨氏解説)
基本は東洋花鳥画の官画系正統派の黄氏体に徐氏体を加味した高貴な様式を遵守し、「客座縮写乙酉第七 全楽堂」の実写生に準拠したものである。参照各図は、文政8年(1825)崋山33歳の暮(近くに12月23日の月日の頁あり)頃のものと思われる。
同縮図冊の3ウ~4ウを活用。左図は3ウ上部の小図を基本に下部スケッチの顔貌などで形を調え、右図は3ウ・4オの見開き大図に3ウの黒い子鵞スケッチを左右逆にして重ねている。右図は鶏頭や稗、黄蜀葵などの秋草茂る水際での鳥の母子、左図は、鶏頭や海棠、稗の秋卉に囲まれた中、鵞鳥の親鳥の水面に浮かんでの羽つくろい。水中に渾南田風の鮒の親子が泳ぐ。
なお、挿図5、6は、『翎毛虫魚冊』の巻末付近の迫力溢れる西洋犬のスケッチに依拠したことが判かる貴重な地取写生を本画に導いたまた一つの貴重な例である。本画は黒川古文化研究所自慢の崋山最晩年「随安居士」落款の「洋犬図」である。
(文星芸術大学 上野 憲示)
「秋鵞図双幅」左
「秋鵞図双幅」右
「秋鵞図双幅」と縮図冊の図
「洋犬図」
『翎毛虫魚冊』巻末写生