アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.100

父の日の贈り物 ~ブルーノート東京~

23年前から私が編集長をしている当地の郡市医師会報に友人の医師が、自分も妻も間もなく還暦、ぼやぼやしていられない、動けるうちに色々なライブに出かけたいと次のように書いていた。「次はブルーノート東京デビューを狙っている。大人のおしゃれな店らしい。だから僕らもおしゃれなお酒の飲み方を練習しなくちゃ…」

6月中旬、その会報の取材を名目に上京した。本音は、友人はおろかジャズ好きには垂涎の的『ブルーノート東京』での小曽根真(おぞねまこと)率いるビックバンドジャズライブ。次女が父の日にプレゼントするというのである。初めて私がこの店に入った時は300席もの広さ、高い天井に吊り下げられた巨大スピーカーなど高性能音響装置、店全体に漂うゴージャスな雰囲気に圧倒されたものだ。

ブルーノートは米国のジャズ・レコードの会社名で、数々の名盤を出し、ニューヨークにある同名のライブハウスも有名である。また、ピアニストの小曽根真がモーツアルトやガーシュインを演奏したテレビのクラシック番組も素晴らしかった。今回は13名のベテランに途中から20歳のエレキ・ギタリストが入る超ド級の演奏。彼のピアノとベースとドラムによるトリオも圧巻であった。

実はねと演奏の合間に私は娘に語る。父も高校の吹奏楽部と大学のバンドでバリトンサックスだった。だが高校では先輩に、大学では同輩に「君の音には色気がない」と言われ、だから中高年になってサンバの打楽器を始めた。でもサンバの師匠は色気がないとか下手だとは口にしない…。「いい先生ね」という娘も休日はロックバンドでギターとキーボードをやっている。ともかく華麗なステージと美味な料理に満足した親孝行な一夜であった。

帰りの新幹線でわが一家6人が騒々しいラインを繰り広げる。「オトンと娘に何があった?」「反抗期をやっと乗り越えたか」「10年目の和解?」―。谷崎潤一郎の『細雪』を始め多くの文学作品で3人娘の次女は、最も反抗的、自立心が強い、晩婚が多いと描かれている。私の次女も中学時代はなかなかだった。それが音楽と料理とブルーノート東京で程よい調和を…親バカか。

ブルーノート東京

玄関ホール

演奏前に食事

8月16日から18日まで秋田市アトリオンにて神戸のジュエリーデザイナー江藤久子氏と、秋田県角館在住の写真家千葉克介氏によるコラボ展が開催される(図は案内状のゲラ)

『ブナ大樹』(千葉克介・屏風仕上げ)

『雲』(江藤久子・紙粘土)中に入れられた遺灰は白神の山に還った)

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。