花より団子。春はやっぱり桜と酒である。米ワシントンDCのポトマック公園を彩る桜は1912年に尾崎行雄東京市長が寄贈したのが原点だそうで、紆余曲折を経て今や8000本。米国人にもすっかり花見が定着したという。因みに秋田を代表する角館の桜は400本、干拓の大潟村は3700本、そして秋田駅からすぐの秋田城址・千秋公園でも700本だからスケールではやっぱり米国にかなわない。
秋田市千秋公園の賑わい(昨年4月28日)
古城山から桜の角館を一望する
秋田大学精神科で後期研修をしていた昭和60年代の桜の候、医局長命令で千秋公園へ昼過ぎに同僚と出かけた。夜の医局観桜会の場所取りである。この時期は昼から秋田の呑ん兵衛たちで賑わう名所なので20名超の医局の席確保は絶対必要だ。とはいえ広場の一隅にゴザを敷いてしまえばあとはヒマである。酒類は大量に持参した。ワイン1本目のコルクを抜き、そのまま2人で4、5本も空けたろうか。桜のピンクが青い空に映えていた。
「そろそろ起きろ」という医局長の声で目が覚めた。既に夕闇が迫り、広場を囲む露店の灯りと無数の花見客、それにゴザの上で車座になった御一行も酔いが回って大賑わい。「君たちに場所取り頼んだのは猫にマタタビだった」と彼はみんなで作ったトン汁を勧めてくれた。が、もう冷えている。コンロはガス切れ。夜桜の秋田は寒い。
「テキヤのにいさんに温めてもろたらええ」と身を乗り出したのは大阪大学からやってきた大阪生まれ大阪育ちの教授である。できません、と秋田生まれ秋田育ちで四角四面の医局長は首を横に振った。「なんでや?」「前例がありません。秋田では露店商にそんなことを頼みません」「ほうか。それならわしが交渉したる」と教授は立ち上がった。
一番近いおでんの露店に向かった教授はねじり鉢巻きのテキヤに声をかけた。「もうかりまっか?」「どうだべ」「あの鍋、温めてくれへんか?」とトン汁を指さす。え?とテキヤはひるんだ。「金は出す。なんぼや?」「なんぼ?…おでん買ってければタダで」「どれくらい?」「1000円」「ほなら頼むわ」と教授は私に指示し私は鍋を持ってきた。テキヤは自分の鍋をどかしてガスコンロに乗せた。
トン汁は5分もすると沸騰した。その間にテキヤはおでんを容器に盛り、教授は財布から2000円取り出した。テキヤは「1000円だ」と1枚返す。教授は「これはあんたにチップや。あそこいるうちのおにいさんは」と医局長を指さし「秋田では露店商に鍋を温めてもろたりせえへんいうとる」「俺だって初めてだ。でもチップはいらね」「あんた正直もんや。大坂じゃ考えらへん。いいからとっときなはれ」「おおきに」「あんた関西?」「いや、地元」
こうして私は温かいトン汁とおでんにありついた。旨かった。夜桜の客も減り、後片付けした帰り際、「あのにいさん、ヒマそうや。サクラになったろか」と教授はまた寄った。「もうかりまっか?」テキヤは応えた。「ぼちぼちでんな」 2020/4/30
菜の花ロード11㎞(大潟村)
鳥海山と菜の花