「精神科医のニア・ミス」No.107
コロナとハンコ雑感
民間企業と交わした電子契約を役所では紙にプリントし各部署の決済ハンコで満載という公務員がいた。近くの病院の院長が発行する書類は別人の筆跡に院長印を押してある。私も見習いたいが秘書もおらず数多の書類は自筆に署名捺印するしかない。こんな三文判で本人確認…意味ある?
と思っていたらコロナの影響でテレビ会議や電子署名が増え、ある会社社長は「コロナのお陰で会議と出張はかなり省略できると分かった。ハンコも書家の篆刻(てんこく)と陛下が押させる璽(じ)しか残るまい」という。安倍晋三首相もコロナ禍で見えたわが国の在宅勤務やオンライン教育の立ち遅れをぼやく内容の演説をした。
だが書類の山とハンコがそれを阻む。健診の書類は年々意味もなく分厚く面倒になり、生産性向上を期すデジタル化は遅れ、不要不急のアベノマスクも至急必要だった持続化給付金もなかなか届かなかった。お役所はあくまで慎重である。
話は変わる。米国では抵抗する黒人被疑者を白人警官が取り押さえて死なせ、人種差別だと怒るデモ隊が暴動化した。米の医療無保険者は8%、コロナの黒人死者80%というから無理もないが、矛先は南北戦争の将軍らに向かい、原住民に残虐だったとコロンブスの像まで攻撃されている。
そのコロンブスが新大陸を発見した1492年から50年後の1542年、種子島にポルトガル船が漂着し鉄砲が伝来した。砂鉄が豊富で冶金が発達していた種子島に鉄砲鍛冶が起こり、コロナのようにたちまち各地に拡がり、鉄砲は戦の決着を迅速化し戦国時代は終わる。だが日本のグローバル化はここで小休止。
一方、グローバルなモンゴル帝国はペスト流行でヒト・モノの動きが止まり崩壊に向かったという。情報伝達が高速化した現在も多くの地域でコロナ対応は遅れ、感染の急拡大で医療は崩壊、積極的に対応せず集団免疫の獲得を期したスウェーデンでは抗体陽性者10%未満と情けないことに…ん…ハンコはどこへ行った?
6月下旬、政府の規制改革推進会議は「慣行的な押印や書類の見直し」を求める意見書を首相に提出し、ハンコは不必要・不急と遂に認めた。だがお役所はあくまで慎重である。この意見書の実現にはクラゲのような無数のハンコが必要となるだろう。(2020/7/17 写真・佐々木かなえ)
ハートインレター50号
男鹿半島のハタハタ漁で有名な北浦・雲昌寺のアジサイ(今年もコロナにめげずオープン、大盛況!)
尾根白弾峰(佐々木 康雄)
旧・大内町出身 本荘高校卒
1980年 自治医大卒
秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)
湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務
平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)
平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長
プロフィール
1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。
ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。
80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。
81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。
93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。
地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。
主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。
医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。